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Episode No.028

彼は、もともと結婚する気はなかった。

跡継ぎには兄の子を迎えるつもりでいたし、後年、予定通りそうした。
父親の厳命によって27歳の時に妻を迎えることになったが、婚礼の夜、自分は子供を作る気もないし、もしできても家督を継がせる意志はないことをはっきりと新妻に申し伝えた。

新妻にとっては何とも張り合いのない話ではあったが、そこは天皇家の血を引く孫娘。彼女はつとめて聡明にふるまった。

彼にとっては、この聡明さが少しばかり気取って見えたのか、妻に対してこんな意地悪をしたことがある。

筆が立つ妻は日頃から「関東の水は硬くて墨をすると筆の運びが滑らかにいかない」と漏らしていた。
「水の区別などつくものか」と思った彼は、ある日、京の水を取り寄せると妻に内緒で彼女の水差しに入れておいた。
すると、その水を使った妻は「今日の水は、まるで鴨川の水野ように軟らかで書きやすいわ」と呟いた。
これを聞いた彼は、さすがに驚いて妻に対する見方が変わっていく。

以来、好学の士としても知られる彼は、妻と和歌をうたい合い、古典を楽しむなど、実に趣味の会った仲睦まじい夫婦生活を送ったという。

しかし、そんな幸せも長くは続かず、結婚後わずか4年で妻は病死してしまった。

彼女のことを心から愛していた彼は、その後、後妻や側室を迎えることはなく、全国を旅して歩くことになる。

旅のお供は、助さんと格さん。
ご存じ、水戸黄門。徳川光圀の愛妻物語である。


参考文献:「日本史人物/女たちの物語・下」加来耕三/馬場千枝=著 講談社+α文庫=刊

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