そもそも自分が人間でいること自体が不思議である。
両手をのばせば、肩から左右に手があって、今はキーボードを上を指が行ったり来たりしている。
自分の顔は、自分では見ることができない。
鏡を通して見る自分は、左右正反対だし、写真やビデオに写った姿を見ることはできるが、等身大の感覚はない。
自分という感覚は、実に不思議なもので、何かを考え、発言し、こうして文章にしているがことが、生きている証にはなるが、本当は何のためにこうしているのか、さっぱりわからない。
幼い頃には、布団に入った暗闇の中で「死んだらどうなるんだろう? 自分という、この感覚はどうなってしまうんだろう?」と考えて眠れなくなったことが何度もある。
戦争の時代ならともかく、今はたいていのことをしても「死ぬわけじゃないからいいじゃん」と言えるが、死んだ人々にも感覚というものがあるとしたら、きっと失敗して恥ずかしい時には「生きてるわけじゃないから、いいじゃん」と言うのだろうか?
とにかく人間というものは、考えれば考えるほど不条理である。
その不条理さを文学に託した作家、カフカが誕生したのは、今から116年前の今日、7月3日のことだ。
チェコの古都ブラハでユダヤ商人の息子として誕生したフランツ・カフカは、41年の短い生涯に、神の不在、人間関係の危うさ、そして生きていることへの不安をドイツ語で書き綴った。
その作品が刊行されたのは、ほとんどが彼の死後。
カフカ・ブームが起こったのも死後20年以上もたってからの話だ。
41年はあまりにも短いが、長くても、せいぜいその倍生きられればいい方。
死して名を残したカフカは、生きている人々から見れば確かに偉大な作家だったかもしれないが、自らの名声を知らぬまま、不安のうちに生涯を閉じたという点では、決して幸福な人生ではなかっただろう。
真の芸術家であることと、人間としての幸福をつかむこととは、必ずしも一致しない・・・ようだ。
あなたなら、どちらを選ぶ?
「書くことは祈りの形式である」by カフカ。