4月18日は、発明の日。
1885年4月18日に現在の特許法の前身である専売特許条例が公布されたことにちなんだものだ。
発明と言えば、今回も都知事にはなれなかったドクター中松を思い出すが、氏の発明の内容はともかく、あれくらいのキャラクターを持っていないと発明を金にはできないだろう・・・と、つくづく思う。
今、あなたが思いついたことは、ひょっとしたら人類の歴史を変える大発明、あるいは大発見かもしれない。
だが、それは単なる"思いつき"として流れてしまい、後に似たようなアイデアのヒット商品が世の中に出ると「自分も同じようなことを考えたのに」と悔しがることになる。
私にも何度も経験のあることだが、たいていの場合、アイデアというものは"誰でも考えつくこと"であり、またそうでなければ、世の中に出しても誰も相手にはしてくれないだろう。
それが、いわゆる"半歩先を行く"アイデアで、2歩も3歩も先を行っていたとしても理解してくれる者がなければ決して金にはならない。
その半歩とは、つまりアイデアを人が見てわかるようなカタチに変えるということである。
言い方を変えれば、アイデア自体は天才的とまではいかなくとも、普通の人が"思いつき"で終わるところをカタチする努力こそが、半歩進むことではないだろうか。
実際、アイデアをカタチにしようと思うと、さまざまな弊害が出てくる。
これは、ちょうどシナリオを映像化する時と同じ。
シナリオでは「男が歩いて来る」と書けば済むが、撮影しようと思ったら、何歳くらいの男でどんな服装をしていて、どんな場所をどんな天候や季節の中を歩いているのか・・・そうした、すべての具体的な条件がそろわないとカメラは回せない。
また、すべての条件を具体化していても天候や予算によって、思い通りには撮れないのが通例だろう。
アイデアを練っている最中・・・というのは言い訳にすぎない。
そのうちスゴイことしてみんなを驚かしてやろう・・・なんて考えている人間に"そのうち"は永遠に来ない。
本当に何かを成しえようと思ったら、とにかくやってみることだ。
アイデアで勝負しようと思ったら、まずアイデアをカタチに変えるクセをつけることが先決だ。