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1947年、東京・北千住。
あたりは一面の焼け野原。しかし、もう焼夷弾が落ちてくる心配はない。

焼け落ちた店の後地に戸板を並べて洋品店を再会した、母と息子2人の親子がいた。

この時、母は50代半ば。
2度の離婚を経験しながらも女手ひとつで、2人の息子を必死で育て上げた。

躾・・・ことに接客態度に厳しい母は、客に会釈程度しかしなかった息子をひっぱたき、腰を90度に折って深々と挨拶するまで頭を押さえつけ、徹底的に仕込んだという。

いかにすれば客に満足してもらえるか?
客に満足してもらわずに代金をもらうことは「盗る」ことと同じ。

後に社長となった息子は、業界でも"主婦の心"を持つ経営者として名をはせることになる。

わずか3坪の戸板商法から再会した店が最初の転機を迎えるのは、近くで売りに出た15坪の店を入手してからのこと。この店を買うためには莫大な借金を必要とした。
半ばあきらめかけている息子たちを連れて、取引先や銀行に頭を下げてまわり、母はみごとに資金を調達する。日頃、堅実で熱心な商売をしていたことが認められた結果である。

「店が大きくなりましたね」と言われるよりも「社員が良くなりましたね」と言われることの方が嬉しいという伊藤雅俊は、このわずか15坪の店から、セブンイレブンやデニーズを傘下におく日本一の小売業、イトーヨーカドー・グループを築き上げた。

そこには「おしん」のモデルとなった母、ゆきの教えが生きている。


参考文献:「マンガ流通の企業家たち」吉田貞雄=原作 オフケン=編 ダイヤモンド社=刊

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