「なぁアンリ、そのノビタキの卵を親鳥に返してやってくれないか?」
6歳になるアンリは、初めて行った丘の上で鳥の巣を見つけた。
珍しいその卵をひとつ持ち帰ろうとしたところを小学校を運営する神父に止められた。
「この卵がかえってヒナになった時、お母さんがいなかったら可愛そうだろう?」
素直に神父の言葉に従ったアンリは、この日、大発見をした。
それは、この卵がノビタキという鳥の卵であること。
鳥や草花、そして虫にも名前がついている・・・ということだった。
南フランスの小さな村で生まれたアンリの父親は喫茶店を経営していたが、何度場所を変えても商売はうまくいかず、長男であるアンリは15の年には家から離れ、独立して生活する必要があった。
最も当時の子供たちにとって、街頭で物売りをしたりして家計を助けることは当たり前だったが、人一倍研究心が旺盛だったアンリは、本を買ったために宿賃をなくし、読書をしながら野宿することもあったという。
16歳の時、師範学校で給費生を募集していることを知ったアンリは、その試験に挑戦した。
もともと先生になるつもりはなかったが、全寮制の師範学校に学費免除で入ることができれば、とりあえず宿の心配はないと考えたのだ。
結果はみごと1番の成績で合格。
師範学校を出ると19歳で小学校の教壇に立つことになった。
子供たちとの交流の中で、自分が幼い頃感じた自然への興味が再燃した彼は、自分なりに研究を始める。
21歳で結婚したものの生活は苦しく、給料を上げるためには学士号を得るのが早道と考えた彼は、ここでまた猛勉強をする。
ちょうどこの頃、彼の元に代数を教えてほしいという家庭教師の依頼があった。
数学など何も勉強をしたことはなかったが、生活の糧にその依頼を引き受けた彼は、ゼロから学んですぐ教えるというやり方を繰り返し、ついに数学と物理学の学士号をモノにした。
彼が後の世に知られる偉業に着手したのは、56歳の時。
84歳までの28年間に全10巻の全集を出版する。
彼の名は、ジャン・アンリ・ファーブル。
『昆虫記』の記念すべき第1巻が出版されたのは1879年4月3日。
4月3日は『ファーブルの日』と言われている。
1915年に91歳でこの世を去ったファーブルの好きな言葉・・・ラボレームス(さぁ、働こう!)