学者や芸術家には、ひとつのことに熱中するとまわりが見えなくなる人が多い。
ギリシアの科学者、アルキメデスもそのひとり。
「アルキメデスの原理」が入浴中にヒラめいて、全裸のままシラクサの街を走り回ったというのは有名な話だ。
話は少しズレるが、最近のある調査によると入浴中に脳溢血などを起こして倒れ、そのまま浴室で亡くなる人の数は、ひょっとすると交通事故で死ぬ人より多いかもしれない・・・らしい。
直接的な原因は湯の熱さで、42度を境にそれ以上の湯につかる人に多く見受けられるというから、熱めの湯が好きな人は注意が必要だ。
アルキメデスの場合には、湯から飛び出て走りまわったくらいだから、それほど熱い湯には入っていなかったことだろう。
アルキメデスの功績は「アメキメデスの原理」のほかに、数々の兵器を作ったことでも知られている。
紀元前3世紀の終わり頃、ギリシアと戦争をしていたローマは、アルキメデスが考案した新兵器にずい分と悩まされていた。
巨大な石を飛ばすことができる投石機や、海岸に近づいた敵の船を鉄かぎで引っかけて持ち上げる装置。
さらに、大きなレンズや鏡を使って太陽の光を反射し、敵の船を焼く熱線銃まであったという。
「私にテコと足場を与えてくれれば、地球でも動かしてみせよう」
とは、アルキメデスがギリシア王に対し、自分の自信を示した言葉。
だが、ローマ軍の執拗な攻撃は続き、敵兵たちは、ついにシラクサの城壁を突破。市街戦となる。
この時、ローマ軍の第一の目標は、自分たちをさんざん苦しめたアルキメデスの逮捕にあった。
激しい市街戦をよそに、研究室にこもっていたアルキメデスの元に、とうとうローマ軍がなだれこんだ。
床に図を書きながら計算を続けていたアルキメデスは、兵士たちを無視するどころか「そこをどけ! その円を踏むな」と叱りつけた。
その言葉を聞いて激高した、ひとりの兵士にアルキメデスは、その場で殺されてしまった。
その報告を受けたローマ軍指揮官マルケルスは、敵とは言え、偉大な科学者であったアルキメデスの死を悼み、彼が研究中だった図をかたどった墓標を作り、丁重に葬ったといわれている。