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Episode No.148(990216):世捨て人になる前に

『徒然草』とともに知られる鎌倉時代の随筆集『方丈記』。

作者は"世捨て人"鴨長明。

タイトルとなった『方丈』とは、約3m四方の部屋の意。
長明が晩年を過ごした日野山の粗末な草庵を示している。

ここで、長明は安元(1177)〜元暦年間(1185)の大火、大風、飢饉、地震等の天災地変や人事の転変を精密に描出し、仏教的な無常観と深い自照性を表し、後に隠者文学の代表とまで言われた名文をおこしたのである。

しかし、いかに乞食小屋のような場所にこもって物書きをしていたとはいえ、生身の人間であればカスミを食って生きられるはずはない。

はたして"世捨て人"は、どうやって生活をしていたのか?

画家が食べていくには画廊、物書きが食べていくには編集者の支援はなくてはならないものだ。
現代は、こうした図式も崩れかかっているようだが、かつては画廊の主人や編集者が自分が見つけた才能に先行投資をして、その才能を育てたと聞く。

もちろん鎌倉時代に出版社などあるはずもない。
後の世に評価を受けた書も書かれている段階では、売る先もない単なる"道楽"に過ぎなかっただろう。

多くの文人は、その"道楽"に付き合ってくれる富豪のスポンサーを得ていた。
古代ヨーロッパで王室がお抱えの画家や作家を持っていたのと同じで、少なくとも才能ある"世捨て人"は、その才能を力のある人たちに認めさせるだけの実力があったというわけだ。

鴨長明の場合は、草庵があった日野を荘園とする日野家がスポンサーとなっていた。

『徒然草』の作者、吉田兼好はスポンサーこそ持たなかったが、また別な才能によって生活を立てている。
質のいい水田を買って人に貸し、その上がりで生活しながら物書きの道を歩んだ。
今で言う、不動産業である。

自分が食べていくための知恵くらいなければ、他人を関心させるものなど創造できるはずもない。


参考資料:「不思議おもしろ日本史」泉 秀樹=著 三笠書房=刊 ほか

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