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Episode No.125(990120):思いたったが吉日

昨年暮れに10数年ぶりに電話をくれた同級生がいた。

父親が亡くなり「自分もいつ死ぬかわからない。思いついたことは、すぐやろう」と決心して、とりあえずいつかは連絡しようと思っていた旧友に電話をかけまくっている・・・という。

父親が亡くなったとは言え、我々の世代の平均寿命を考えれば、少々大げさな話に思えなくもないが、確かに平均寿命は、あくまでも平均であって、突然、病魔におそわれるということはないまでも、交通事故をはじめとする重大事故に明日あわない保証はない。

自分に40代、50代、60代、70代・・・場合によっては80代まであると思いこんでいるから、ついついノンビリ構えて、大切なことを後回しにしてしまうということは、よくあることだ。

ちばてつやという漫画家がいる。
『あしたのジョー』などで知られる漫画界の大御所である。
当然のことだが大御所にも新人の時代はある。

ちばてつやがデビューしたのは昭和32年(1957)、高校2年の時だった。
東京・神田神保町にの裏通りにあった小さな出版社の社長に見い出してもらい、処女作を出版。
彼が生まれて初めてもらった原稿料は12,315円。この時の感激は生涯忘れ得ぬものとなった。

その出版社からは2作目の注文も受けていたが、2作目が完成した時には、出版社は倒産。
とんとん拍子でデビューを果たしたちばもその後は、さまざまな苦労を経て漫画家の道を歩むことになる。
しかし、自分を最初にプロと認めてくれた、小さな出版社の社長への恩は片時も忘れなかった。

それから10数年後、週刊誌の掲載漫画家としてメジャーとなったちばは、後にテレビアニメ化されるヒット作『ハリスの旋風』の執筆に入ろうとしていた。

この時、ある名案を思い立ち、ちばは、当時のお礼をかねて、かつての恩人である社長を捜した。
だが、この時、恩人は、すでにこの世の人ではなかった。

『ハリスの旋風』の主人公の名は言わずと知れた、石田国松。
ちばの恩人である出版社社長の名は、石橋国松という。


参考資料:「モデルは誰だ」素朴な疑問探求会=編 青春出版社=刊

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