今年も暑い夏が来た
そして今日…
7月22日は
…あいつの命日
50代の10年間…
ふとしたきっかけで
伊豆下田の歴史を研究した
60代になって
もっと身近な歴史を
ハッキリと遺したいと考え
高校時代に事故で亡くなった
友人のドキュメンタリーを作った
自分が作った8mm映画で
死ぬ役を演じてくれた友人が
本当に亡くなってしまったのは
映画の完成後…1ヶ月のことだった
彼を映したフィルムは膨大にある
それを
第三者が観てもわかるように
繋ぎ直してみた
昨年のあいつの命日までに
完成させるつもりで…
母校の現校長に観せたところから
思いも寄らない方向に話が広がり
9月には母校の体育館で
上映会を開くことになった
猛暑の中…
懐かしい顔ぶれが集まってくれた
今日ここにリンクしている動画は
上映会用に再編集した映像に
上映会当日の映像をさらに入れた特別編
母校の関係者だけに
限定公開していたものだ
以来…同窓会に携わることとなり
母校に足を運ぶことが多くなった
学校の事情は
我々がいた44年前とは
大きく変わっている
生徒数は我々の頃の
約半分になっている
少子化で統廃合が進む中
我が母校…
神奈川県立舞岡高等学校が
間もなく50周年を迎えられるのには
いくつかの理由がある
もっとも大きな理由は立地
そして
今からちょうど20年前から
校舎の一角には
保土ケ谷支援学校の分教室が入っている
体育祭や文化祭などの行事は
舞岡高校と合同で行っているようだ
舞岡分教室での授業は実習が中心
近隣の企業から請け負った作業を
1年生から3年生まで一緒になって
丁寧に行っている
紹介を受けて
うちの会社も
作業をお願いすることになった
作業に使う資材の搬入搬出が
学校側には大きな負担になっているという
…が
うちの作業に限っては
社長自ら喜んで学校に向かう
一生懸命で感じのいい
生徒さんたちに会うのも楽しみだし…
何より
分教室の職員室の隣の倉庫は
かつて自分が
ほとんど住んでいたと言っていい
元…生徒会室だったから
その鉄の扉の前を通る度…
あいつらと過ごした
懐かしい日々を感じ
その時の熱い思いを充電し直す
すべてはあいつらと再開した時…
俺らよりずいぶん長生きしたクセに
たいしたことしてねぇな
…なんて言われないために
むしろ自慢のネタを
ひとつでも多く持って行きたい
だから…人生日々更新