自分がいくつから大人になったのか?
…考えてみたことある?
まだまだ子供だと謙遜するのもいいけれど、
子供が携帯を持つようないい年になって、
いつまでも子供的な部分を売り物にしていたのでは
関心されるどころか、呆れられてしまうよね。
年相応の苦しさを乗り越えられなければ、
年相応の達成感はもとより、
年相応の幸福感を知ることはできない。
何も年相応でなくたって…なんていうのは、
自転車にうまく乗れないからと言って、
自転車に乗る必要がないと理屈をこねているようなもの。
大人になるということは、
なるとかならないとかを選べるものではなく、
例外なく誰でもならなければいけないものだから、ね。
そのうえで子供の部分も残っているのはいい。
けれど、
それは子供のままでいいということではないでしょ。
結婚して子供ができて、一家の体をなすことができれば、
一般的に見ても、ローン会社から見ても、
一応はまともな大人ではある。
けれど、本当に自分が大人になれていないと、
一見強固に思える生活の基盤は本人の意識が乏しいと
…いとも簡単に崩れてしまいかねない。
同年代の友だちにできているからといって、
自分もできる保証など、どこにもないのだ。
みんな自然ににそうなつているのではなく、
それなりに苦労をしてそれを維持しているし、
何よりも年相応の
大人らしいバランス感覚を持っていないと、
その年齢でやらなければならないことはできない。
最も夫婦の問題でいえば、
夫か妻のどちらかが背負っている場合も、
しばしば、あるもあるようだけど、ね。
お互いに…
自分の方が背負ってる
…と思うくらい何か頑張っているのなら、
それもバランスのとれた関係といえると思うが。
はたして自分が
大人の感覚を持つことができるようになったのは、
いつからか
…ということは明確には言えないけれど、
少なくとも…
自分が楽しむことではなく、
誰かを楽しませることが楽しいと感じてから
…であると思う。
だから、親になると大人になりやすいんだ。
いわゆる大切な人…ができても、
そういう気持ちにはなることもあるが、
あくまでも自分のために大切な人でいるうち…
自分をいやしてくれる存在…なんて言ってるうちは
大人の領域にはないと思うよ。
それじゃあ、実際に逢えるたというだけで、
タレントのファンになるのと大差はない。
相手の一面…
自分のとって都合のいい部分しか見ていないわけだし。
一方、子供であっても、
誰かのためという気持ちを持っていれば
充分に大人的な頑張り方もできるだろう。
いや、むしろ
子供の方がサービス精神は上かもしれない。
…欲のない分、ね。
たとえ親でも、自分の子供を
まるでペットを扱うがごとくいじっている親を見ると、
自分の楽しみしか追求できていない
未熟な人間に思えてならない。
そうだな…
恋は自分の欲求でするものだけど、
愛することは
相手の喜ぶ顔を見ることが至上の喜びで、
必要があれば自分を捨ててまで奉仕するのこと
…だとすると、
愛を知るのが大人ということになるな。
愛を知りたければ…大人になるしかない。
ま、そう単純ではないだろうけど、
奉仕をつらいことだと思っているうちは
…まだまだ子供だし、それじゃあ続かない。
こういう単純なことを認められないのも
自分が先だって、捨てられない証拠だろう。
自分が楽しむんじゃなくて、
相手を楽しませて、何処が楽しいの?
…なんて言ってるお子様だって、
小さい頃は信じられなかった
ワサビを入れて寿司を食うようになるもんさ。