Episode No.3426(20090819)
海辺の親子
20090819海辺の親子

それは地元の人しか知らないような小さな浜辺。
海の家もなければ、自動販売機ひとつない。

あるのは廃屋となった船の修理工場と、
その修理工場から海に伸びる船を運ぶためのレールの跡。
そして猫の額ほどの浜辺。

それでも水はとびきり澄んでいて…
何組もの家族連れが、
バーベキューをしたり、釣りをしたり、
ダイビングをしたりして楽しんでいる。

そんな中…ひと組の父と娘が目に入った。

親父は50前後くらい。
まるでメタボ予防漢方薬のCMの如く
ポッコリと腹が出ている。
娘は小学校高学年か中学に入ったくらいで、
親父に似て、やや太め。

こう言っちゃあ何だけど…
親父はうだつの上がらない営業マンのような感じで、
いつも上司に怒られてばかりいて、
同僚や後輩からも小馬鹿にされているようなタイプ。

つむじのあたりが薄くなっているのは
年のせいだろうけど…
それとは別に円形脱毛症が見え隠れすることが、
それを物語っている。

母親の姿が見えないのも…おそらく
「夏休みなんだから
 ヨシコ(想像上の仮名)を海くらい
 連れてってやんなさいよ」
…なんて言われて、やって来たに違いない。
で、母親は…
かき入れ時で忙しい観光地の土産物売り場で
「旦那の稼ぎが悪い」ことを理由に
パートでもしてんじゃないかな。

だけど親父にとって…
娘と2人で海に行くことは、
むしろこの上ない楽しみなんだ。

今でこそ、腹が浮き袋になっている感じだけど、
もともと泳ぎは得意。
最も…海の近くに生まれ育ったから得意なんで、
別に国体に出たとか、そんなんじゃないけど。

泳ぎが得意、しかも海が大好きでよかったことと言えば…
海の家でかき氷を作っていた時に
今の奥さんと出逢ったことくらい…だった。

…だった、と過去形なのは、
今の鬼瓦のような奥さんと
当時のタンポポのような可愛らしい少女が
同じ延長線上にあることなど信じられないから。

奥さんにとっても、それは同じで…
あの引き締まった色黒の青年と
円形脱毛症の白豚は、とても結びつかないだろう。

さて、そんなわけで…(とはいえ、すべて想像だが)
親父は一人娘を連れて地元の海へやって来た。

親父の目は普段とは違う。
曇り空で少し海の水が冷たかったせいもあるが、
ダラーンとした愛想笑いしかできない目尻は、
ちょっとだけ引き締まって見える。

娘に泳ぎを教えている。

娘はピンク色の浮き輪をはめたまま、
父親の言う通りに両腕を高く上げたりしてる。
でも太めだから、浮き輪はずり落ちてこない。

時折、海に入っては…また浜辺でレクチャーをする父。
その話に真剣に耳を傾ける娘。

浮き輪はずっと娘の腰に装着されているから、
実際どれくらい泳ぎが上達しているのか
傍目にはちっともわからない。

父は娘の一挙一動に大喜びして誉めたり、
鬼コーチのように怒鳴ってみたり…。

怒鳴られても娘は一切逆らわないし
「もう、嫌だ」とは言わない。

たぶん娘も学校ではいじめられてるんじゃないかな。
海の近くに住んでるのに泳げなくて。

父の指導法はどうあれ、
とにかくいじめられないくらい泳げるようになりたい。
その一心という感じもする。

日暮れが近づいて、
さっきまで深いグリーンだった海は、
海面のさざ波が光を細かく反射して
モノクロームのように見える。
泳ぐ人たちの姿も完全にシルエットになった。

まだ、父と娘は頑張っている。

あと10年か15年くらいしたら、
この娘もお嫁に行くだろう。

地元の農協の職員か…
待てよ、地元の農家の次男坊と結婚するな、きっと。

長男じゃなくて、次男。
長男は大学から都会に出てっちゃって
農家を継がなければならなくなった次男。

決して兄思いや両親思いで
地元を離れなかったわけではなく、
勉強が嫌いで大学なんか行く気にもならなかった
…そんな次男と。

やがてリストラに遭った長男が
ペンションをやるとか言って、
都会育ちの嫁と眼鏡をかけた息子を連れて帰ってきて…
結局、ペンションもうまくいかずに、
やっぱり実家を継ぐとか継がないとかということになって
モメるのは20年くらい後の話。

それはともかく…
結婚式でこの親父は泣くだろうな。
人目もはばからずに鼻水をたらして号泣するよ、きっと。

娘もこの夏、2人で泳ぎの特訓をしたことを思い出して、
化粧をすっかり洗い流すほど泣くだろう。

母親も…つられて泣くな。

その結婚式で少し黄ばんだ壁に映し出される
浜辺で撮った2人だけの記念写真
…ああ、俺が撮ってやればよかったかな。

いや…
傍目にはいかに、うだつの上がらぬ白豚だろうとも、
逞しい父の想い出に…現実の写真は余計だな。


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