もう20年くらい会っていない
旧友からメールをもらう。
昔は「女の子」だった人。
こっちも昔は「男の子」だったけど。
カノジョと呼べる相手はいなかったけど、
親友と呼べる異性は、わりといるんだよ
・・・何故か、ね。
かなり深い話までしたんだよなぁ・・・。
時間だけはあったから。
でも一線を越えることはなかった。
越えてきたのか、こちらが越えたのか、
そういう相手も一人だけいた。
・・・今はうちのカミさんになってる。
・・・で、その旧友に近況を話す。
当然、バイクの免許をとった話もする。
すると・・・
彼女も小型バイクの免許をとっていた。
私の自慢のバイクの写真を送ると、
「いい音しそう」
・・・という返事が返ってきた。
見た目のカタチではなく
「音」に着目したところは、
さすがに自分でも乗っていただけのことはある。
体感を共通認識できるというのは
何かにつけて話が早い。
知識ではなく
感覚的な話が通じるかどうかが、
友達と知人の境界線かもしれない。
同じ苦労をしたことがある
・・・というのもそうだね。
言葉だけが
相手との間を埋めるもんじゃない。
むしろ・・・
言葉で埋めようとするところに
・・・無理があるな。
友達とカノジョの境界線については
・・・いまだに、わからない。