番外編(20040530):
この内容は2004.5.27付で発信したメルマガを一部改訂したものです。
■盟友との別れ
まだ辛抱強く、このメルマガを待っていてくれた皆さん、ありがとうございます。
また半年間のご無沙汰でした。
この半年間は・・・本当にいろんなことがありました。
私の人生も人生観も変わるくらいのね。
実は3月に友人を亡くしました。
この友人とのことを書くと長くなってしまうので、ここには書きませんが・・・おそらく一生のうちでも1人逢えるか逢えないかの「盟友」であったことに違いはありません。
死因は肺ガン。享年40歳。
今回は誰の身にも起こりえる怖い話を少し書こうかと思います。
ご承知の通り、ガンの原因はよくわかっていません。わからないから怖いんです。
遺伝だとか、タバコだか言われていますが、なる人はなるし、ならない人もいる。
わかっているのは「究極の生活習慣病」だということです。
もう何年も前の話になりますが、ある保健所を取材する仕事があって、そこで初めて「生活習慣病」という言葉を耳にしました。
それまで「成人病」という言葉は知っていても「生活習慣病」という言葉は知りませんでした。
いわく「子供も同じ病気にかかるようになったので、成人病という言葉は適切でなくなった」と。
肺ガンで亡くなった私の友人は、スポーツクラブにも通っていたし、酒は好きでしたが暴飲暴食をするようなことはありませんでした。タバコも、もう4年も前にやめていました。
そんな彼が体の変調を訴えたのは・・・スポーツクラブで10km走っていたのに、5km走ると苦しくなった、ということあたりから。亡くなる半年ほど前の話です。
厄年が近くなってきている年齢ですから、そうした変調は単なる「衰え」としてしかとらえることができませんでした。もちろん健康診断も、あえて金をかけて人間ドックでやっていましたからね。
それでも・・・何となく背中が痛いとか、すぐ風邪をひいてしまうとか・・・日常生活に支障はなかったものの、原因がはっきりしないのを気にして、繰り返し病院を検査をうけていました。
しかし、なかなかその原因はわからず・・・わかった時には切ることもできないほどガンに蝕まれてしいたのです。
通った先の医者が悪かった・・・これを読んだ人は、そう思うかもしれません。
確かに、もしももう少し早くわかっていたら・・・と私も思います。
でも・・・仮にあなたが同じような症状になったとして、確実に、しかも素早く診断を下すことのできる医師や病院が、どこにあるか・・・ご存じですか?
後にがん専門医に直接聞いた話では・・・もし同じ症状をもっと年輩の、60代、70代の患者が訴えていたら、医師もがんの疑いを持つかもしれない。しかし、40代になったばかりでは、本人も、医師もまさかがんだとは思わない、のか普通。
おそらく、初めて「成人病」になった子供は、まさか「成人病」だとは思われなかったことでしょう。
ところが・・・最近、私が直接聞いただけでも、数名の若い人ががんに倒れています。
これはもはや、若い人であってもがんにかかるのは普通になってきているのではないでしょうか?
そういう認識が、まだ一般的でないだけでね。
しかも、若い人の方が、はるかにがんの進行は早いんです。
去年の夏くらいから検査を繰り返していた彼は、ちょうど12月1日からがんの専門病院に入院し、3月に帰らぬ人となってしまいました。
入院中、彼と私は毎日メールでやりとりをしました。もちろん家族とも。
その時も、そして今も彼に大変感謝しているのは、彼はがんになって体の自由がきかなくなっても、最期の最期まで「心が健康」であったことです。
もしも、そこで自暴自棄になってヤケでも起こされていたら・・・誰も止めることはできないでしょう。
むしろ、彼とは「今後のこと」までよく話し合う時間がありました。
健康に気遣う・・・というと、何だか年寄りクサい気がしていましたが、健康は決して「長生き」のためだけに必要なものではないとつくづく思います。
彼は残念ながら命を落としましたが、それまで健康に気遣っていたからこそ、自らの考えて病院を選び、自らの足で入院し、私と毎日コミュニケーションすることができました。
もしも、彼が健康に留意していなかったとしたら・・・ある日突然呼吸が困難になって病院に担ぎこまれ、意識もないままこの世とおサラバしていたことでしょう。
それでは・・・後に遺された者たちは、たまったものではありません。
最期まで自分らしくありたいと思うなら・・・。
誰にも迷惑をかけたくないと思うなら・・・。
そして、例えば今夜、親しい友人や恋人と逢う約束をしていて、その約束を果たしたいと思うなら・・・。
虫歯一本あっても自分の思い通りにはいきませんよね。
どんなに鍛えていたって誰しもが平等に、いつかは死を迎えます。
それがいつかは誰にもわからない。
だから・・・将来のためでなく、今、健康でないと、ね。
彼の葬儀で挨拶に立つことになった私は、彼の死を看取った者として、こんなメッセージを伝えさせてもらいました。
「彼が不運だったんじゃない。私たちが運良く生かされているんだ。
そのことを胸に刻んで、再び彼に逢う日まで頑張っていこうと思います」
あいつに逢えるんだったら・・・死ぬのも楽しみになってきた今日この頃。
でも、宿題をたくさん遺していってしまったから・・・私は当面、死ねないな。
人の死を看取ったのは今回が初めてのこと。
おばあちゃんが危篤に陥った時に会いに行ったら・・・口を空けて、ようやく息をしていてね。
乾ききってしまった舌がようやく動いていた。
その時と同じだった。
まさか、あいつのそういうところを見ることになるとは、ね。
体は思うように動かなかったけど、周囲の声は聞こえていたでしょう。
最期に私がかけたひと言は・・・「わかってる」。
そうしたら、彼は精一杯口元に力を入れて・・・こんな状況であるにもかかわらず、何だか笑って見えました。
でも・・・絶対、悔しかったに違いない!
どうやって生きていこうなんて・・・考えるだけ贅沢だよな。