THE THEATER OF DIGITAKE |
■宮田浩一郎の母 宮田浩一郎は長男と生まれたが、5つ上の姉と2人姉弟・・・つまり末っ子だ。 姉は札幌に嫁いでいるため、ここ数年、年賀状のやりとりくらいしか交流がない。 本当は3人姉弟になる予定だったが、姉と浩一郎の間に生まれた女の子は生後30日で亡くなってしまった。 もちろん、その後生まれた浩一郎にとっては話として聞かされてはいても、すぐ上にもう1人姉がいたという実感はまったくない。 浩一郎の母は四国の出身。 北海道に住む父と出会ったのはお互いが東京見物に来ていた時で、その後数年の遠距離恋愛を経て、父の元へ嫁いできた。 祖父の代で漁師を廃業することになった宮田家では、浩一郎の父を安定した職に就けたがっていた。 役場関係の仕事のうち、父が郵便局を選んだのは、どうやら母と文通していたのが大きな動機らしい。 一番上の姉が生まれたのは、結婚のちょうど1年後。亡くなった姉が生まれたのは、その2年後のこと。 浩一郎が待望の長男として誕生したのは、さらに3年後のことになる。 「跡取り息子の誕生はめでてぇが・・・うちにゃあ、もう跡をとる仕事はねぇかんな」 と祖父がふづやいた・・・とか。 生まれたのが男の子だろうが女の子だろうが、母親にとって育児は懸命な24時間労働だ。 ことに、すぐ上の子を亡くした後だっただけに、浩一郎は細心の注意をもって大切に育てられた。 そんなわけで5つ上の姉には、ずい分と我慢を強いる場面が多かったが、浩一郎はある年齢まで、まるで王子様のような扱いを受けていた。 浩一郎が3つか4つくらいになったある日。 例によって姉が使っているオモチャを見て、それを使いたくなった浩一郎が、強引にオモチャをつかみ取ろうとしたことが原因で姉弟ゲンカとなった。 そこに祖父母や母親など、大人がいれば間違いなく姉に向かって 「お姉ちゃんなんだから貸してあけなさい」 と言ってくれるところだったが・・・。 たまたま、まわりに大人はいない。しかも、買ってもらったばかりのそのオモチャには姉もまだ執着心を持っていて、なかなか放そうとしない。 頭に来た浩一郎は、思わず姉の頬をひっぱたいた。 その時、ちょうどやって来た母は、その場面を目の当たりにした。 「あのね、お母ちゃん。姉ちゃんがオモチャ貸してくれないの・・・」 この一言で母親は自分の味方についてくれる・・・幼い浩一郎は、そう信じていた。 だが、次の瞬間。母の平手が浩一郎の頬を打った。 「女の子に手を上げる男なんては最低じゃ!」 浩一郎が母に叩かれたのは、これが最初で最期。 そして、浩一郎が女性に手を上げたのも、これが最初で最期・・・のはずだった。 |
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