THE THEATER OF DIGITAKE


第17話 左遷

■宮田浩一郎の父

宮田浩一郎の父が亡くなって、そろそろ10年が経つ。享年68歳。風邪をこじられての肺炎だった。

地元の郵便局を勤め上げ、とっくに勇退はしていたが、その後もボランティアとして、とくに山間部への郵便物を届ける仕事を続けていた。
山でひとり暮らしをする年寄りに息子からの手紙を届けた帰り、雨に打たれて風邪をひいたのが原因だ。

「公務員のクセにそこまですることはなかったのに・・・」

父親が亡くなった時、浩一郎は心底そう思った。
実際、祖父の代までは漁師をしていたが、子供たちを町の学校にやるためには経済的にも不十分なうえ、仕事もきつい。そこで、父の代からせっかく漁師をやめたのに・・・。
公務員であるはずの父は生涯、自分の仕事に対して"職人"でいることをやめなかった。

「体が動くうちは現役だ」

と豪語していた父は、体が動かなくなったとたん仕事といっしょに人生もやめてしまった。残された母は可愛そうだが、ひょっとしたら父にとっては幸せな人生だったのかも知れない・・・浩一郎が、そう思えるようになったのは七回忌を過ぎた頃のことだ。

浩一郎が理科系の学校に進むことを父は喜んだ。
浩一郎は化学分野に進むことが時代の最先端である・・・最後の年代とも言える。
これからの時代は職人と言えど、学問は必要だ・・・父にとって男が仕事をすること=職人になること、だった。

実を言うと浩一郎は、特別に理科が得意だったわけではない。
ただし、国語は苦手だったことは間違いない。答えがひとつでないという点が何とも不可解でならない。
その点、理科や数学はある程度、答えはハッキリしている。

とくに好きだったのが実験の授業。
溶液を熱している間に薬品の調合を済ます・・・実験の成功は段取りの良さが決め手だ。

考えてみれば料理だって同じことだ、と気まぐれに何度か挑戦してみたことはあるが・・・。
こしょう少々・・・なんて書かれていると、いきなりつまずいてしまう。

「どうして何グラムって、正確に書いてないんだ?!」


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