でじたけ流 教育論「教育 管理 そして責任」
 

でじたけ流“教育論”
第982回「教育 管理 そして責任」

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教育と管理の違いについて、
よく、こんな話をする。

確かドラマ「ビバリーヒルズ青春白書」
だったと思うが…
女子生徒が教師に向かって言うセリフ。

「生徒がプールに近づくと
 先生たちは慌てて高い塀を作るけど、
 その前に、泳ぎ方を教えてよ」

正確ではないかもしれないが、
そんな意味合いの言葉だった。

つまり、高い塀を作るのは「管理」で、
泳ぎ方を教えるのは文字通り「教育」だ。

親や先生にとって楽な方を選ぶのは
「管理」であって
「教育」と呼ぶのは方便に過ぎない。

ただし、必要な「管理」もある。

子供がナイフを振り回して遊んでいたら、
ナイフを取り上げるのは当然のこと。

それを…
取り上げると子供が泣くから
…といって放置していては
子供の安全を守れないどころか、
誰かに怪我をさせてしまう危険性がある。

結局、こうした時にも、
目の前の子供を
怒らせたり、泣かせない方が、
ナイフを取り上げるより、はるかに楽だ。

ただ、それはその場限りのこと。

たとえ、それで
後悔する事態にならなかったとしても、
それは運が良かっただけの話で、
正しい選択だったとは言い難いだろう。

楽な道を選んで果たせる責任はなく、
責任を果たすということは、
決して楽でない道を進むことに他ならない。

これは、自分に対してもそうで、
楽なことばかりしていて、
つかめる夢などありはしない。

さて…
相手が子供であれば、まだいい。

やがては、
理解できるようになってくれるだろうし、
自分が親の年になり、
子供ができるようになれば、
なお痛感するだろうから。

厄介なのは、
充分に育ち上がったはずの…高齢な親だ。

これだけ高齢者ドライバーの事故が
社会問題になっているというのに、
まだハンドルを握ろうとする80代後半の父親。

自分は大丈夫だと豪語するが、
その時点で、すでに大丈夫ではない。

話し合いで解決できるなら、
そんなに楽なことはないが…
できないからといって
放置しておくわけにいかないのが長男の立場。

できれば恨まれたくはないけれど、
たとえ恨まれても
事故を起こされるより
マシであることは言うまでもない。

そういうわけで実力行使に出たので、
今、高齢の父はカンカンに怒っているし、
そんな年寄りに
いまだ同情する家族の声もあるが…

それでもハンドルを握りたいなら、
親子の縁を切ってからにしてくれ

…と言い放つに至った。

楽な方を選べば必ず後悔することになる。

そんな人生訓を改めて感じる昨今。

自分が同じような年齢になるまでには、
自動車メーカーに就職した長男に
完全自動運転の車を開発してもらいたい
…と切望する。

まずは、
安心して呑み屋へ車で行けるように…。

やっぱり…人生、日々更新。

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