日曜の朝、自宅にいる時には
9時に食卓に着いて、
朝飯をわきにクロッキー帳を開き、
「日曜美術館」を見ながら悪戯書きをする。
日曜の朝、自宅にいる時には
…という書き出しは
読み返してみると
少し不自然に感じるかもしれない。
日曜の朝、自宅にいるのは
一般的には当たり前の話だろうから。
週末は気分転換と創作活動のために、
秘密基地にいることが間々あるため、
そんな書き方になってしまった。
秘密基地でも、
かつてはテレビを見ることはできたが、
デジタル放送がはじまった時に
新しいアンテナを立てなかったので、
今はテレビを見ることはできない。
でも、それはかえって
秘密基地での過ごし方を
より有意義なものに変えてくれた。
家にいると、ついテレビをつけてしまう。
見たい番組があるわけでもないのに…。
唯一、見たい番組が「日曜美術館」である。
クリエイターや評論家は
実に個性的な顔つきをしている。
あらかじめデフォルメされているようであり、
さぁ描いてくださいと言っているかの如く。
で、右手がうずく。
筆記具はたいてい万年筆だ。
せっかく描いたので
facebookに上げてみる。
せっかく描いたので上げる
…というのが、
絵について自分が素人なところだと思う。
先日、この話を
facebookを見てくれている人にしたら…
下書きなしで万年筆で描いてるんですか
…と驚かれた。
そこでまた、
自分にとって絵を描くことは
間違いなく趣味なんだと自覚した。
何度も下書きをすれば、
きっと絵はうまく見えるようになるだろう。
しかし、
下書きを繰り返すうちに
線は死んでしまい、
また描く楽しみは薄らいでしまう。
何度、下書きをしても
線が死なないのは
訓練されたプロであって、
自分にそこまでの力量はない。
楽しむためだけにペンを走らせている。
故に素人の趣味なのだ。
もっと簡単に言ってしまえば…
人に見てもらえるレベルに達するまで
繰り返し何度もやらなければならない
…のが仕事
で
やりたいことだけ
やりっぱなしにする
…のが趣味
だと言えるだろう。
秘密基地で創作活動
…などと、
たいそうなことを書いたけれど、
秘密基地での創作活動は、
もはや同じ題材に対し
ここ数年、繰り返しの連続。
つまり、
仕事になってきてしまった。
繰り返しのキツさを
少しでも和らげ、
テンションを保つために
場所を変え、
テレビのないところでやる
…のが秘密基地というわけだ。
こういうバランスのとり方が、
若い頃にはできなかった。
もちろん、
今と比べて金もなかったし、
そもそも仕事のやり方さえ、
よくわかっていなかったから。
若い頃は…
早くもっと何かができるようになりたい
…と焦るが、
一足飛びにそこに行けるはずもなく、
何度もくじけながら、
地道は訓練を経て、
ようやくできることを
少しずつ身につけていく。
普通に縄跳びができないのに、
二重跳びができるはずはないのだ。
三島由紀夫や夏目漱石より長生きをして、
森鴎外の没年に近づいてくると…
今やらないと、もう今生ではできなくなる
…ということに焦りを感じ始めてくる。
いずれ人生は焦りの連続。
時折、趣味に興じて柔軟性を保ちつつ、
繰り返しの業に
自分を飽きさせない工夫をしながら
人様に見せられる何かをやり遂げることができたら
…御の字ではあるまいか。
やっぱり…人生、日々更新。