でじたけ流 教育論「自分教育」
 
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20190120

でじたけ流 教育論963回 自分教育

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一般的に「思春期」と呼ばれているのは…
10代の頃、
身体の発達に心の成長が追いつかず、
生活のバランスを崩した状態を言うのだろう
…と解釈している。

一方、40代、50代に入って、
老眼が出てくるような年になると、
10代の頃とは逆に、
身体の衰えを心が認識できず、
やはり生活のバランスを崩した状態に陥る。

いわば「第2の思春期」であり、
いうなれば「思秋期」というわけだ。

10代の頃には、たいてい恋愛をすることで、
そのアンバランスが緩和されていく。

自分以外の誰かのことを
懸命に考えることによって、
自分に偏りがちだった気持ちの均衡が
保たれるようになってくるからだ。

「思秋期」を迎える頃になると、
一般的には当然、仕事や家庭を持ち、
早い人は孫までできるような年になっている。

そうした責任という重圧から
逃れようとしたくもなる時期を飛び越え、
自分に与えられたミッションに気づくことで、
恋愛をした10代の頃のように
自分に囚われなくなれば、
生活のバランスもよりよいものになってくるはず。

そうして自分の居場所を獲得できれば
漠然とした不安からも解放されるだろう。

不安の正体は
自分の居場所がない…と思い込んでしまうこと。

自分のことばかりに囚われていては
社会の中で自分の居場所を得ることはできない。

「愛」と「恋」が微妙に違うように、
「憧れ」と「好き」とも似ているようで違う。

もちろん「好き」だから「憧れ」るわけだが、
「憧れ」は一方的な思いで「恋」に似ている。

たいていは「憧れ」ていたスターとは
似ても似つかない相手を「好き」になり、
結婚し、家庭を持つのが常。

「憧れ」より「好き」は現実的である。

生活は現実であり、
現実を知ることは身の程を知ることと同義だ。

現実を変えたければ、まず自分を変える必要がある。

ここが
何も持っていない若い頃と、
いろんなじがらみやら、
悪い習慣を続けてきてしまった年配者とでは
大きな異なる点で…
若い頃のように
自分を変えていけるかどうかが
「思秋期」脱出のポイントとなろう。

若い頃のように自分を変る
…というのは、
若ぶったり、
若い時と同じような頑張り方をすること
…では決してない。

若かろうが、年をとっていようが、
毎日は新しい時間の連続でしかない。

それを同じだと思い込んだり、
先が見えたように決めつけず、
新しい経験から逃げ出さないこと。

自分をこうだと定義づけるのは
賢さを装った臆病である。

新しい人やものとの出会いが
人生の幅を決める…ことは、
老いも若きも終生代わりはない。

やっぱり…人生、日々更新。

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