でじたけ流 教育論「家族という「空気」」
 
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20180513

でじたけ流 教育論927回 家族という「空気」

でじたけ流教育論 digitake.com


バイト先で愛想を使い果たしてくる娘は
家にいる時には、いつも機嫌が悪い。

そもそも「自分の家」というものは、
それが許される場所であって、
家族は「空気」のような存在。

「空気」に向かって愛想をふりまく者はいない。

家に戻ると、まずカミさんから聞かされるのは、
態度が悪い娘や、
帰って来ると寝てばかりいる長男や、
ゲームから目を離せない次男の愚痴ばかり。

それも父親の前では、やや気を遣っているようだが、
母親に対しては、常につっけんどんだという不満だ。

それは父親より母親に甘えているに他ならないが、
甘えられる方は、たまったモノではない。

で、貯まったモノは愚痴として吐き出される。

返す言葉は、たいてい「ほっとけ」のひと言。
それで済まない場合には、
父親が子供たちに対して強硬な行動にでるが、
そうすると真っ先に子供たちをかばうのは母親である。

そして…かばってくれる者には、また甘えてしまう。
この繰り返し…。

厳密に言えば、
母親と父親とでは甘える内容が異なっている。

目先の日常的なことは母親に甘えるが、
中長期的な課題については父親に甘える。
これは役割分担というモノだろう。

いずれ甘えられる側になって、
ようやく大変さがわかる…というのも
世代を越えての繰り返しである。

そして「空気」は
充分ある時には意識しないが、
薄れてきて、はじめて大切さを知るもの。

やっぱり…人生、日々更新。

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