思えば自分が子供の頃は、
早く大人になりたくて仕方なかった。
大人の何に、
それほど魅力を感じていたのか…?
いや、ただ
子供でいることが、
窮屈で仕方なかったように思う。
大人の辛さなど知る由もないし、ね。
しかるに昨今の若者たちや、
我が家の子供たちを見ていると…
自分の若い頃とは逆に、
いかに子供時代を長くしようか、と
そのことに一生懸命な感じがしてならない。
おそらくそれは、
子供や若者をとりまく環境が、
昔よりはるかに恵まれている一方、
身近にいる大人たちが一様に
自分の境遇を辛がってばかりいて、
とても魅力的に見えないから
…ではないだろうか。
そこで考えなければならないことは、
まず、
大人が大人を楽しまなければならない
…ということだった。
その考えに、おそらく間違いはないだろう。
そもそも大人というものは、
なる、とか
ならない、とか
選べるものではなく…
ある年齢に達したら、
ならなければならないもの。
その責任は
逆立ちしても回避することはできない。
ならば、
年相応の責任や辛さと、
年相応の楽しみを持つべきに違いない。
そうした大人の責任とか辛さは、
たいてい仕事を通じて学ぶもの…だが
食うに困らなければ働きたくない
…と思ってしまうことも間々ある。
そこには
仕事をする意味の取り違えがある。
仕事は本来、するもの…ではなく、
与えられるもの…である。
仕事によって、
生きる場所を与えられているのだ。
そう考えると仕事というものは、
何も食うためだけのものではない。
自分を活かした結果、
賃金を得ているのであって、
賃金が目的にあるから
仕事が嫌になってしまう。
何かの役に立っている…ということで
自分の居場所を得ることが
生きる自信やプライドにつながっている。
自信やプライドを持てない大人が多いのは…
自信やプライドなどなくても、
とりあえず生きていける、いい時代
…なんだろうか?
とりあえず生きていける
…くらい、
辛い生き方もないように思う。
窓際の人生に生き甲斐は見つからない。
景色のいい場所の空気は、
自分の足でそこに行かない限り、
味わうことはできない。
やっぱり…人生、日々更新。