年頃の息子や娘に
彼女が彼氏ができて、
ウチに遊びにやってきて…
メシを食ったり、酒を呑んだり。
何ともオープンないい雰囲気
…ではあるが、
自分たちの年代の親にとっては、
さほど珍しい光景ではないようだ。
考えてみると…
戦中派を親に持つ自分たちは、
付き合っている相手を
単独で家に呼ぶなどということは、
よほどのことがない限りなかった。
よほどのこと…とは、つまり
結婚を前提にした付き合いであることを
表明するという人生の一大イベントだ。
自分たちの時には、
いかに親に隠れて異性と付き合うか
…が青春の課題だった。
それに比べると今は実にざっくばらん。
建前の多い
お堅い世代に育てられた我々世代が、
親に隠れないで済む
友達親子を理想としてきた結果だ。
ただ…そこにもやはり功罪はある。
隠れてしていることであれば、
いざとなれば
すべての責任は自分にあるから物事が慎重になる。
最も何の責任も果たせる度量はないが、
少なくとも心構えとしては。
対して、大っぴらでいると、
あたかも親の了承の上で付き合っている
…という甘えが出る。
親も親で妙なフォローに
入るようになってしまったり、ね…。
最終的に
自分で解決する
…という子供の試練を奪いかねない。
別れるようなことにでもなると、
本人たちはサバサバしたものだが、
親の中には、
せっかく友達になった相手と会えなくなることに
必要以上のショックを受ける者もいるらしい。
ともすれば横の付き合いに偏りがちな若者にとって、
世代を越えた人付き合いを知ることは
社会に出て行く上で不可欠であるし…
自分の子供以外に
子供たち世代の若者と交流することが少ない
親たちにとっても
子供を通して“今の若者”をひとくくりにするのではなく、
さまざまな若者と付き合ってみることも大切だが…。
お互い自分たちにとって
都合のいいところ部分で
付き合いを拡げたつもりでいても、
結局、長い…
あるいは深い付き合いはできないだろう。
人と付き合う…とは、つまり
自分の常識外のものに触れるということだ。
いつの時代も
自分の常識だけで、人とは付き合えない。
やっぱり…人生、日々更新。