久しぶりに職安へ行った。
何度も募集をかけに行ってるから、
もう迷うこともないが…。
慣れない時にはウロウロしてると
求人コーナーに連れて行かれたものだ。
一応、社長なんだけど、ね。
用事が済んで出口に向かうと、
『NO パワハラ』というパンフレットが目に付いた。
何が書かれているのか興味がわいて手に取ってみた。
『これがパワハラの6類型!』
…というタイトルの下にこんなことが書かれていた。
身体的な攻撃
精神的な攻撃
過大な要求
過小な要求
人間関係からの切り離し
個の侵害
…なるほどね。
身体的な攻撃には…
丸めたポスターで頭を叩く。
精神的な攻撃には…
必要以上に長時間、繰り返し執拗に叱る。
個の侵害には…
交際相手について執拗に問われる。
…とか説明がついていた。
確かに会社でこれをやられたら、
たまったもんじゃないと思うけど…
考えてみりゃ、
これ全部、大昔からたいていの親が
自分の子供にしてることじゃないか。
つまり…
家庭ですれば躾でも、
会社ですればパワハラ
…というわけだ。
経営者の立場から言わせてもらえば、
じゃあいったい、
社員の躾はどうしたらいいんだろう?
もちろん、会社は
家庭や学校じゃないから、
与えられた仕事をこなしながら
自ら学習していかない限り、
黙っていても人は何も教えちゃくれないものだ
…と思う。
でも、一方で社員教育
…という言葉も根強くあるのは確かだ。
親分が子分を叱り飛ばすことができない。
そういう愛情のカタチは認められない。
…とすれば、
それは世知辛い世の中だと思うし、
弱い者は弱いまま、
未熟な者は未熟なまま認められてしまっては、
そもそも本人のためにならないだろう。
叱るのだって、かなりエネルギーがいるものだ。
第一、叱りつけたことは
自分では絶対にできないし。
叱ることも、叱られることもなければ、
それは過ごしやすいかもしれないが、
人間関係は希薄になり、
お互い切磋琢磨なんてことも
なくなってしまうように思う。
最もパワハラもセクハラも、
誰にそれたかによって決まるもので、
自分はまともにやっていないのに
威張って叱りつけてばかりいたら、
会社では
パワハラだ、セクハラだと訴えられ…。
家庭では
大人はズルいと罵られることになるだろう。
パワーがない奴に限って、
ない力を見せつけようとパワハラしたがる。
言葉はその意味だけでは伝わらない。
誰が言ったかで説得力が決まるものだ。
やっぱり…人生、日々更新。