子供に対して、
勉強しろ
…と叱ることは、まずない。
自分の学生時代を思えば、
とても言えないしね。
いい大学へ行け
…と言うこともない。
代わりに、自衛隊へ行け
…と言うことはあっても。
いい学校に行く…メリットは、
いい習慣を身につけるためであって、
それなら規律の厳しいところへ行く方が、
最も手っ取り早いと思うから。
では、勉強しろと言わない親が、
何故にいつも
怒鳴りまくっているのかといえば、
それは、
自分でやると言ったことをやっていない
…からだ。
片付けものひとつ、
家の手伝いひとつでも、
やると言っていたことをしていないのは
断じて許せない。
社会に出て、
いわゆるいい大学を出た人にも
たくさん出会ってきた。
何か自分にやりたいことがあって、
自分の意志で進学を選んだ人は、
やはりたいしてものだけど…。
そうではなく、
いい大学にいけば何とかなる
…というような態度で、
記憶力に頼って優秀な成績を治めた人は、
社会に出ると
案外たいしたことはない場合も少なくない。
仕事を動かす力のほとんどは応用力。
たとえマニュアルがあっても、
その通りにやっただけでうまくいくなら、
仕事で苦労をする者など誰もいないだろう。
無論、応用力を発揮するためには
基本がなければならないわけだが、
仕事…という
他人とのコミュニケーションなしでは
成立しないものの基本は
記憶力ではなく、人間力が司っている。
人間力は、
独りで本を広げていても決して身につかない。
まして若年の頃は、
自分は評価する側ではなく、
評価をされる側。
言葉遣いひとつ、
メシの食い方ひとつ…を見られ、
人間力の基本が身についているかどうかを
評価されるのだ。
マラソンに例えれば…
スタートラインに立つまでが学校の勉強で、
走り方こそが人間力である。
最初は早く走れなくても…
スタートラインの並ぶ位置が悪くても、
走り方がしっかりしていれば、
やがて頭角を現すことになる。
そして人間力は、バランス力でもある。
確かに学生は
学校で勉強することが仕事に違いないが、
勉強さえしていれば、
ほかに何もしなくていいわけではない。
…が、それはひたすら
好きな食べ物を食べ続けているのと同じで、
やがて体を壊すことは必至。
片足ばかりに頼った走り方では無理がある。
痛みを感じるまで気づかないでいると、
治すのが大変になるから、親は叱る。
そのまた親も
人間力を持っていないと、
いかに正論を突きつけても言葉は届かない。
やっぱり…人生、日々更新。