でじたけ流 教育論「父親という存在 」
 
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20160103

でじたけ流 教育論804回「父親という存在」

でじたけ流教育論 digitake.com


22歳、18歳、16歳…
大きくなった子ども達は屁理屈も増えて、
母親の言うことなど、まともに聞きゃしない
…とよくカミさんから愚痴を聞かされる。

やがて父親がキレて暴れ出すと…、
今度は叱り方がやり過ぎだと
逆に白い目で見られることも、しばしば。

そもそも父親という存在は理不尽の塊。

ただ、ひとつ自分が
冷静さを保っているところがあるとすれば…

誰のおかげでメシを食ってると思ってるんだ!
…なんて野暮なことは言わないこと。

だって、一家の長が
家族に衣食住を与え、
安全を守るのは…当たり前のことだから。

やってあげてる感など微塵もない。

やってあげでるのに…なんて言ったら、
だったら、やってくれなくてもいい
…なんて言われるのが関の山。

人が何か行動をするのは、
何も相手のためだけでなく、
自分の存在を確かめるためでもあるわけで、
そのことを潔く認めるのが謙虚さというものだ。

感謝は要求しない。
ただし、
感謝されるくらい
人の役に立てる人間になることは要求する。

親に恩返しなんて逆立ちしたってできやしない。
その分、自分の子供や後輩に何かをすればいい。
そういう循環がなく、
自分のため、あるいは内輪のためだけに
動いている連中ばかりだと社会はダメになる。

そういう行動に対して
怒りを表せない大人は
…大人のふりした子供だし、
当たり前のことに感謝を求めているうちは
…大人の習慣が身についてない証拠。

やっぱり…人生、日々更新。

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