でじたけ流 教育論「真面目の教育論 」
 
  人生日々更新 -Main-
20151213

でじたけ流 教育論801回「真面目の教育論」

でじたけ流教育論 digitake.com


子供はもちろん、
後輩相手でも、
指導的な立場に置かれて
一番感じるのは…
指導される側ではなく、
指導する側にこそ、
まず勉強と訓練が必要だ…ということ。

知っていることを
言ってるだけでは不十分過ぎる。

わかっていることが、
できることになっていないと伝わらない。

そういう意味で、
子育ては、親育て…であり、
後輩育ては、先輩育て…だと切に思う。

平気で赤信号を渡っていた若造も、
親になって子供の手を引くと、
とてもそれはできなくなる。

その心境の変化の裏側にあるのは、
注意するからには、
自分ができていなければならない
…という真面目さ、というより、
子供を大切に思う気持ちがあるからだろう。

つまり、
相手を大切に思う気持ちがないと
指導はとても務まらない。

真面目さは何をするかということより、
いつするかという、
タイミングを守ることだと常々思っているが、
大切にしなければならない相手が現れた時、
その相手を大切に思えるかどうか
…ということも、
タイミングを守ることに違いない。

いくら腹が減っているからと言って、
手も洗わずに食い始めるのは行儀が悪い。
食い終わってから洗ったのでは意味が無い。

そういうタイミング…
言い換えれば習慣を刷り込むことこそが、
教育なんだろう。

そして、それを教え込むために、
自らの習慣を振り返り
…親は親らしく、
…先輩は先輩らしくなっていく。

やっぱり…人生、日々更新。

Copyright 1998-2015 digitake.com. All Rights Reserved.


人生日々更新 -Main-