でじたけ流 教育論「リスクとコミュニケーション」
 
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20150524

でじたけ流 教育論772回「リスクとコミュニケーション」

でじたけ流教育論 digitake.com


つい先日、大変な事件をニュースで聞いた。
高校1年生が母親と祖母を殺傷するという事件。
それも現場はどうやら、うちの次男が通う高校の近所のようだ。

同じ高校1年の息子を持つ親としてゾッとする事件だ。

子供に殺されることに対してゾッとしているのではない。
子供が加害者になることにゾッとしているのだ。

子供たちが幼い頃には、
もっぱら被害者になることを恐れた。

しかし、そこそこ大きくなってくると、
加害者になる可能性だってゼロではない。

最近はとくに未成年の凶悪犯罪が少なくない。
何も凶悪犯罪でなくても、
自転車で他人に怪我をさせるような過失なら
…十分あり得るだろう。

その対策としてできることと言えば、
慌てた状態で自転車に乗せないこと…や、
万が一に備えて保険に入ることくらい…だが。

幸いうちでは仕事関係の保険顧問がいるので、
家族のリスクヘッジも、
できるだけのことはしているが、
問題は金銭だけのことでないのは当然。

他人と自分、そして家族と自分との関係を考える時、
コミュニケーションのあり方は常に悩みのタネだろう。

コミュニケーション…というと、
仲良くなる=できるだけ近くにいる
…という風に思いがちだが、
それは大きな勘違いだと思う。

コミュニケーションで大切なのは間合い。
つまり相手との距離のとり方だろう。

歯車だって隙間がないと回らない。
富士山が美しく見えるのは離れた場所で
…近づけば恐ろしい岩山。
どんな美人だって顕微鏡で見たら
…毛穴につまった汚れが気になってくる。

子供はどんどん大きくなっているのに、
幼児の頃と同じ場所から見ていたら、
可愛く感じられなくなってきて、
愛情のない妙な義務感だけでヒステリックに叱ったり…。

一方、機械相手に遊んでばかりいると、
人同士の間合いが理解できなくなってくることも確か。

経済的に独立していない子は、
どうあがいても親との距離を調整することは難しい。

その分、親が子供の見方を変えないと、
子供は大人に近づけなくなってしまうようにも思う。

何かをやめる…ためには、
別な何かをはじめなければならない。

子供は新しいものにどんどん接して大きくなっていく。
親だって何か新しいことに挑戦していないと、
…モノの見方を変えることなんて、できそうにない。

やっぱり…人生、日々更新

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