20011111
でじたけ流 教育論第74回 うは

2才赤ん坊に接しているとわかることだけど・・・

例えば、こっちが右手をあげて見せる。
と、赤ん坊も右手をあげて笑う。

やがて、顔を合わせると赤ん坊が先に右手をあげるようになる。
そこで、こっちがそれに答えて右手をあげて見せると・・・笑う。

ほかにも、それは・・・
おじきだったり、ほっぺたをふくらませたり、手を叩いたり
と、いろいろだけど

自分がこうしなければ、相手もこうしなかったという行動を確認して
喜んでいる。

つまり、コミュニケーションというやつは・・・
お互い、相手に影響をあたえあったことを確認して成り立っているモンなんだな。

昨日まで出来なかったことをして喜んでもらえる赤ん坊なら
それだけでいいんだけど・・・
赤ん坊を卒業してしまった人たちとのコミュニケーションは、そうはいかない。

一人前の人としての最低条件は・・・
ひと口で言えば、他人に迷惑をかけない、ってことだ。

この「迷惑」と、
コミュニケーションの基本にある「影響」の違いを見極めるのが難しい。

この世に生を受けた者の基本的な欲求として・・・
他人に影響をあたえたいという思いは誰にでもあるだろう。

他人なんてカンケーねーよ、好き勝手やってるだけさ
なんて言いながらバイクを走らせる暴走族も・・・
決して人里離れた山の中は走らず
近隣の住民にやかましがられるのを承知で街中や住宅街を走り、
わざわざ警察に追われている。

かといって・・・
迷惑を避けるために、コミュニケーションを絶つのも本末転倒。

暴走族とのコミュニケーションなどは絶ちたいが・・・
コミュニケーション自体をなくして生きられないのも人間だ。

と、なると・・・
やっぱり必要なのは「迷惑」とならない「影響」、ということになる。
それは何か?

まず考えられるのは・・・
「相手のために」できる「自分しかできないこと」をする、こと。

また、ここで難しいのが・・・
何が「相手のため」なのかを知ること。

自分がいくら、そう思っても・・・
相手がそう感じてくれないことは「相手のため」にはならない。

でも、たとえ今は拒絶されても、将来「相手のため」になることもある。

こうした堂々巡りの壁にブチ当たったら・・・枝葉の部分で悩まないのが得策。
問題のポイントをもう一度あぶり出すために・・・フリダシに返ってみる。

赤ん坊とのコミュニケーションは・・・言葉でとっているわけじゃない。
つまり・・・
言葉などなくてもコミュニケーションはとれるんだ。

何て言ったらいいのか、わからない
そんな言葉の壁に当たったら・・・何も言う必要はない。

言われたことは忘れても・・・感じたことは忘れない。

難しい問題だとわかりきっていることを・・・
簡単な言葉だけで解決しようと思っても・・・
そりゃあ、ハナっから・・・無理だよ、な。

でじたけ流 教育論

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