でじたけ流 教育論「義務の成長」
 
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20131124

でじたけ流 教育論694

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このところ外出が多くので、
会社には弁当を持たずに行くけれど、
弁当持ちの日には、
昼…食い終わったら、
まず弁当箱を洗うようにしてる。

その方が帰ってから面倒がないのは当然。
そもそも毎晩、
何時に帰れるかわからないから、
夏場などは洗っておかないと大変なことになる。

さて、横浜は中学から弁当持ちになる。
うちには中学生も高校生もいるので、
朝、最低でも3つの弁当は必要となる。

学生時代には当然、弁当箱を
洗って持って帰るなんてことはしなかったが、
今やこうして
ピカピカになった弁当箱を持ち帰るようになると、
子供たちには胸を張って、
弁当箱くらい自分で洗え!と言えるわけである。

だが、自分もそうであったように…
子供にとって親は何でもしてくれて当たり前
…のようであり、かつ、
自分より何かできて当たり前の存在。

逆を返せば…自分はできなくても仕方ない
…という理由が通る相手だと考えがちである。

確かに、ある年齢まではそうだろう。
しかし、親に迫る身長を持ってして、
そうは言っていられないのが社会へ出るための教えだ。

よく、子供は15まで…と感じてきたが、
その裏付けとして大きな理由のひとつは、
単純に身長かもしれない。

親でなければ届かなかったものに届く
…のなら、もう助けはいらないはずだ。

日常生活のたいていのことは、もうできて当たり前。
見た目に残る課題は経済問題だけである。

そして、できない者たちのための
我が家の新ルール…
弁当箱を洗い終わっていないと、晩飯は食えない。

中高生にしては決してハイレベルのルールではないが。

できることが増える…ということは、
やらなければならないことも増える
…ということなのである。

親も、子も、ね。

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