でじたけ流 教育論「卑怯のはかり方」
 
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20130728

でじたけ流 教育論677

でじたけ流教育論 digitake.com


親が怖い…と思う子供は、
ことある事に、
親が子供をキチンと叱り、
子供もそれに応じている証拠で…
ある程度、躾ができていると見ていい。

少なくとも、心底、悪くはなっていない。

実はこの話は、
大昔…私を補導した警官が、
うちの親に話したこと、だ。

怖いもの知らず…とは、
つまり大馬鹿者のことで、
怖いものがあってこそ、
自らを戒め、成長できるのだろう。

はたして親が怖いと言っていた自分が、
どれくらい成長できたかは棚に上げといて、
とりあえず、親になって間もなく20年…
大学生の長男、
高校生の長女、
中学生の次男と接して今日に至っている。

人は愛する者に一番欺されやすいのと同様に、
怖いものがなければ、
なかなか真剣に自らを省みようとしない。

子供だけでなく、大人でも。

親が怖い、と思う子供は、
親の言うことを聞かなければならないという
モラルを持った子供である。

同じように、
子供が怖い、と思う親は、
子供に見せることのできないような
情けない行いをすべきでないという
モラルを持った親だろう。

その行為が、
大切な相手に見せられないような行為
…であることを自覚するために、
まず必要なのは、
大切な相手がいること…であるが、
大切な相手を裏切るまい
…として、つく嘘は、
いわんや自分をも裏切っている。

次に、他人に見せられない行為
…を知ること。

それは…何か?

それを知らない“ふり”すること。

つまり“卑怯な行為”である。

そして…
教えなくても自分可愛さで覚えてしまうのが
…この“卑怯な行為”。

卑怯か卑怯でないか…
本気でそれをはかろうとするのであれば、
大切な相手の前で、やってみるといい。

そこに少しでも躊躇を感じたら…
それが“卑怯な行為”である可能性は高い、よな。

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