そんなの当たり前だろ〜!
…と怒っても、
自分の常識と相手の常識が異なれば、
大声で怒鳴ってみたところで何も通じない。
親子間ではよくある話。
仕事してても、時々あるな。
その人の常識は価値観より、さらに根深いところにある。
考えた末の結論ではなく、
無意識のうちに行動にあらわれる常識は、
正しいとか間違っているという次元を越えた習慣だから。
イナゴの佃煮を食えるか食えないか?
…というレベルの話だね。
子供の頃、
家庭の食卓にのっていなかったものは
食べ慣れない人が多いでしょ。
家を出て、新しい常識に出逢うごとに戸惑う。
戸惑いながら
新しい常識、世間の常識を吸収していく。
癖を直すのは大変なことだよ。
でも、ね。
知らないのが当たり前じゃないんだ。
できないままでは済まないことが多いんだ。
悪い癖になる前に直してやるのが親心。
箸の使い方が悪ければ上手く飯が食えない。
食べこぼしが多いのは、つまり行儀が悪い。
字が汚ければコミュニケーションがはかれない。
雑にやることが当たり前になっていると
必ず大きなミスを犯してしまう。
叱られて済む程度のことなら、まだいいし…
少しばかり儲け損ねたくらいならいいけれど…
自分や他人を
大怪我させるようなことにもなりかねない
…そう思うと、とても黙っちゃいられない。
子供や部下を叱るのは、
結構なエネルギーがいることだ。
言ってわからなければ、
時にはあえて失敗させてみる。
この失敗させるという行為は、まず
親や上司にとって勇気がいることなんだよ、な。
当然のことを当然と知るにも、
ただそれだれのことのようだが、
…成長には必ず痛みがともなう。
痛みを感じる本人は、
それが痛いことだ
…ということすら知らないでいるから、
痛みよりむしろ驚きの方が大きいかもしれない。
痛みを知ってると見てるだけで痛さがわかる。
世間の常識を知る者同士というのは、
同じ痛みを知ってる者同士
…ってことかもしれないな。
同じ楽しみを知る者同士より…
同じ辛さを知る者同士の方が、
よりお互いを理解できる気がする。
子供が家庭のありがたさを知るようになるのは、
自分一人で世間に出るようになってから。
子供が多少なりとも親を理解できるようになるのは、
自分も親になって親の辛さを知ってからだもんな。
…そんなことは当然わかってる。
だから、わからん連中を
繰り返し、繰り返し叱るんだ。