小中学校が二学期制になり、
先週末で前期が終わり。
この三連休は秋休みだ。
積極的に成績表を見せたがらない
小5の次男とは対照的に、
中2の長女は叩きつけるように
成績表を見せてきた。
5段階評価の各教科を合計すると
45点満点になるらしいのだが、
それで40点もとったと胸を張る。
ほおーっ。
確かにここのところ
遅くまで塾に通ったり、
教えたがりの高2の長男に
勉強の仕方を
素直に指南されたりしていた。
部長を務めているバトミントン部も
力を抜くわけにはいかない。
それで勉強しなかったと言われるのが嫌で
頑張った成果だと思う。
成果は励みとなる一方、安心を生む。
高校受験に向けて、
これからが本当のスタートだから、
ここで安心してしまうのは早いが、
やればできることを知ったのは
大いなる自信につながったことだろう。
しかし実際のところ…
受験や高学歴というシステムを
未だ信用していないばかりか、
そこに重きを置くことは、
やはり間違いだと確信を深めている父親としては、
真っ先に見るのは国語と美術の成績。
英語も同じだが
国語は何をやるにしても不可欠な道具。
美術は感性を形にする訓練だと考えている。
いかなる専門知識を持っても、
それを表現できないことには
一切役に立たないと…極端に言えばそう思うんだ。
知っていることも
表現しなければ知らないのとと同じ。
考えていることも
説明できなければ考えていないのと一緒。
コミュニケーション能力をどこまで伸ばせるかが、
どんな職業に就くにせよ、
自分を活かし、また活かされるベースになる。
そこさえできていれば、
あと必要なのは知識より、勇気だな。
勇気の足りなさを知識で補おうとしても、
準備すればするほど腰が引けてくるだけ。
だけど、
勇気をもって何かに飛び込むことができれば、
必要な知識のうえにノウハウも身につくだろう。
知っているけど、できないことより、
できるけど、よく知らないくらいの方が、
人の役には立つ。
人の役に立てないと
…自分の居場所を失ってしまうから、ね。