20010610
でじたけ流 教育論第52回 し惜しみするがあるのか?

物騒な事件があった。
犠牲になった子供たちと同じ年代の子供を持つ身として・・・何とも背筋が凍る思いだ。

と、同時に・・・
BBSにも書いたけど
親である以上、被害者の親になる可能性もあれば
加害者の親にだってなる可能性もないとは言い切れない。

事件については外野の私がとやかく言うつもりはないけれど・・・
事件ではなく、事故であっても
子供がまきこまれていたりすると、その都度、いろいろ考えさせられてしまう。

親になるまでは・・・ここまでいろいろ思わなかったのに、ね。

私が両親といっしょに、今住んでいる場所に引っ越してきたのは、私が中学に入学した時。
その時、うちの弟は、まだ3歳。
今のうちの長女より小さかった。

中学生の自分には、この辺りの道の
どこらへんが見通しが悪くて危ないなんて・・・少しも考えなかったけれど
自分が親になると、そういうところしか見なくなってくる。

そんな風に自分以外の人間のことまで
あれやこれや考えるのが面倒だから・・・
結婚したり、子供を持ったりするのがイヤだと思う人は少ないだろうけど

年相応の気遣いや苦労のない人には
年相応の喜びや幸福感も持てないだろう。

自分だけは人とは違う・・・これは誰しもが思っていることだ。
たとえ、1歳半の赤ん坊でもね。

そう思って「人並み」を否定した瞬間に、怠け者であることを認めたも同然。

自分の価値観を他人の価値観といっしょに天秤にかけることはできないけれど・・・
じゃあ何を「人並み」として認めなければならないかといえば
それは・・・誰でも年をとるということ。

「人並み」に生きることを否定してもいいのは・・・絶対に年をとらない人だけだろう。

「人並み」に必要なことなのに、自分にできないことがあると
「別にやりたいと思わない」なんて、ついそれを否定しまうのは人間的に弱い証拠。

わからないこと、できないことを克服しようとする力は
年齢と関係なく自分の中にあるはずなのに・・・
若い時には逃げ出して、年をとったら、やりにくくなって
最後は自分に嘘をつく。

そういう人が・・・
本当の「自分らしさ」や「自分のやりたいこと」を認めてもらうなんてことは
到底できない・・・と思うな。

最も、その先では「別に認めてもらおうとは思わない」って必ず言うだろうけどね。
それじゃあ社会の一員として生きていけないじゃん。

まだ、両手を広げて・・・「て」くらいしか、まともに喋れない1歳半の次男は
自分がうまく話せないことに、だいぶイラ立ちを感じているようだ。
それだけ、言われたことは理解してる証拠だとは思う。

この間、カミさんと長男が出かけて
私と4歳の長女、そして次男の3人で留守番をした。

次男は・・・
カミさんになら、ある程度、自分が言いたいことをわかってもらえるのに
私だとなかなかそうはいかない。

本人はミルクを飲みたいのに、私は何がほしいのかわからなくて麦茶をやろうとした。
とうとう次男は・・・
眉をひそめながら、重たいミルクの缶を持って来て、私に突きつけた。

誰かが気づいてくれるのを待っているだけじゃ・・・
自分が腹が減ってイライラするだけだ。

火事場のバカ力なんて言うけど・・・
そう自分に言い訳している人に限って、火事場がどこにあるのかを知ろうとしない。

出し惜しみする力などない。
力は出さないと、ついていかないモンなんじゃないかな。

年相応の神経と思いやり・・・そして持久力を持って。
知ってることと、できることは違うんだから。
できるつもりになってると・・・いつまでたっても、ね。

ちなみに今日6月10日は・・・時の記念日だ。


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