子供たちがよく歴史の話をしている。
三国志がどうとか…
信長がカッコいいとか…
勉強熱心、と思いきや、
何のことはないゲーム・キャラの話をしてるだけ。
ゲームとはいえ、
バックボーンには本物の歴史があるわけで、
歴史のアウトラインを知ったり、
本当の歴史に興味をもつきっかけとなるのは
結構なことだけど…
あんな「北斗の拳」に出てくるような
…武将なんて、いないって。
たった今「本当の歴史」なんて書いたけど、
「本当の歴史」を知る人など、実際にはいない。
数多い検証はあるにせよ、
推察の域を出ることはあり得ない。
近年また次々といろんなものが発見されたり、
最新の技術によって
見えなかったものが見えてくると、
これまで信じられていた歴史が
覆ることも珍しくない。
去年だったか…
間もなく定年を迎える
中学時代に歴史を教わった先生の呑んだ。
そこで、そうした覆る歴史観について
質問をしてみた。
我々が教わった三十数年前と違うのは、
こういうことがあった…という教え方ではなく、
こういうことがあったと言われているが、
みんなはどう思うか?
…という教え方をせざるを得ないことだと言う。
発見が進み、解析技術が進歩すればするほど、
不確実になっていくというのは
…何だかすごく皮肉な感じもするなぁ。
まるで、数の概念がなければ、
わざわざ数えなくても済んだものを、
数の概念があるが故、
数えないと理解できなくなっているのと同じ。
しかし…
気づいてしまったことは、
もう気づかなかったことにできないのが
…歴史を築いてきた普遍的な人の心理でもある。
最も、仮に同じ時代を生きていったて…
見ている場所によって見方も解釈も変わる。
歴史を通して勉強しなければならないのは、
…そこだろうな。
その感覚が学べなければ
円滑なコミュニケーションはとれないから、ね。
とりあえず子供たちは…
ゲームの中で歴史をおさえることによって、
自分がチョイスしたキャラクターを勝たせるための
動かし方を知ったり、アイテムを選んだりしている。
そうしたことが今のところ、
彼らの実生活の役に立つことに違いないだろうが…
やがて自分で生活を立てなければならなくなった時
…やっぱり心の支えになるんだろうか?
学生時代…
ことに中学、高校の授業がつまらなかった
最大の理由は、
何のために学んでいるのかがわからなかった
…からじゃないかな。
漠然と「将来のため」なんて言われたって、
まったくピンと来ないし、さ。
今振り返ると学校の先生たちの多くは、
例え話が非常にヘタだったように思う。
それはおそらく学校を出て、
またすぐに学校に入り…
上司や先輩はいても、
目の前の客(生徒)はみな、
自分より人生経験のない者たちばかりに
囲まれているからじゃないか?
つまり日常のコミュニケーションは、
常に上から目線でいれば済む。
普通の会社であれば、
最初は下からはじまって、
やがて少しずつ上になっていくものだから、
必要に応じて、下にいる時代を思い起こし、
経験談や例え話のひとつもできるものだろうけれど。
いきなり上の立場でいるなんてのは、
どう考えても不自然だし、
不自然なものは人を歪(いびつ)にしてしまう。
40代も後半になった私が、
いまだに集う先生たちは、
そんな歪さに気づいて、本音を語ってくれた人たち。
…だから今でも人間同士の付き合いができる。
心の支えになるのは、
歴史上の人物でも、目の前にいる人でも
…結局、人との出逢いだろう。