20010520
でじたけ流 教育論第50回 「楽」だけはせない

「人は教えているうちに学ぶ」
・・・という思想家セネカの言葉がある。

私が子供に接している時は、もちろんそれを実感するし・・・
仕事で何かの説明をしていても
説明しているうちに、自分でもようやくわかってくるコトもある。

「われわれは他人に幸福を分けあたえると同時に
 それと正比例して、それだけ自分の幸福を増加するのだ」
・・・ジェレミー・ベンサム

まぁ、わからない人に何かを教えるというコトは必要なコトなんだけれど・・・
結局のところ、教えているうちに、また教える側と教わる側とで差が開いてしまうのも事実。

わからない人が、いつまでたっても同じ状態でいるのは・・・
教わらないと出来ない・・・と思いこんでいるからなんだろうね。

だから子供とつき合っていても・・・
できるだけ「教えこもう」とは思わないようにしている。

自分が楽しんでやってるところを見れば・・・イヤでも真似をする。
偉人の話ばっかりしてれば・・・
門前の小僧は、公園で友達と遊んでいても田中角栄や三島由紀夫の話なんかしてるらしい。

真似をしても、すぐには思ったようにできないから・・・工夫も、しはじめる。
この工夫が何より大切。

人から聞いた通りにやるなら・・・工夫なんていらない。
でも・・・
仕事をしていて思うのは
結局、商売って「工夫」を買ってもらってるんだなぁ、というコト。
納品形態はいろいろだけど、ね。

だから・・・
工夫のない頑張り方しかできないと
いくら頑張ってるつもりでいても・・・決して稼げるようにはならない。

工夫って「自分で考えた」こと、だから
誰にでもできるコトなんか・・・高くは売れっこないモンね。

先週も連帯責任について書いたけど
自分だけよければいい・・・という考えは、また別問題。

ビル・フォスターというバスケットボールのコーチの言葉に、こんなのがある。

「"Teamwork(チームワーク)"という言葉に、"I(私)"という文字はない」

自分を捨てて・・・自分にしかできないコトをやる。
難しいようだけど・・・
どんな集団の中でも存在理由があるのは・・・その人ならではの何かがあるからだ。
それがなければ・・・集団を変えても、自分の居場所は見つからないだろう。

親の立場なんて・・・自分を捨てる最たるモノだよね。

だけど、捨てっぱなしじゃなくて・・・本当は拾ってるモノもたくさんあるハズだから
必要以上につらがらないコトだ。

1歳半になる次男が、よく夜泣きをする。
カミさんがだっこして、いくらあやしても泣きやまない。
最近は力も強くなってきているので・・・ヘタをするとカミさんの腕から落ちそうになる。

最後に仕方なく私がガッチリだっこして・・・
背中をバンバン叩いていると・・・泣きやんでスヤスヤ寝ちゃうんだな、これが。

思うに・・・
カミさんの腕は細くて、暴れれば暴れるほど自由がきいてしまうから
ますます暴れちゃうような気がする。

一方、私に抱かれると・・・身動きひとつとれないから、あきらめる。
あるいは身体が安定した感じもするのかも知れない。

実は、不自由な方が居心地がいい・・・ってコトもある。
逆に・・・自由ほど不自由なモノはない。

自分で工夫するより、不自由でも人の言う通りにしてる方が・・・「楽」でしょ。
つらがるのも・・・そこで精一杯と見せて「楽」したいからなんだ。

「楽」して儲けた人はいるかも知れないけれど・・・
「楽」して偉くなった人は、どこにもいないよ、ね。

工夫は「楽」をするためにある思うのは大間違い。
本当は・・・同じ苦労をしなくてもいいように、するモンだ。

でも、別な苦労はまた来るよ・・・生きてる限り。

やってみたいコトは何でもさせるけど・・・「楽」だけはさせない。
それを子供に納得させるためには・・・
親が「楽」な道ばかり選ばないコトだ、ね。

でじたけ流 教育論

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