20091227
でじたけ流 教育論

第491回

心にしみるかすり傷-digitake.com


毎年言ってる気もするけど…
今年も早いもので、
今日が最後の日曜日=教育論。

子供たちが大きくなるにつれて、
教育論というよりは、
対応策になってきている感もある。

結論からいえば…
言うことをきかす、のが教育ではなく、
自分の思うよう通りにはいかないという
現実を子供の頃から叩き込んで、
社会に出た時の抵抗力をつけるのが
家庭で必要なことなんだろうと思う。

親の立場に立ったことのない子供に
親のやること、言うことが
100%理解できるはずもない。

理解できないものを
理不尽に感じることも間々あるだろう。

しかし、一歩外へ出てみれば、
世の中はたいてい理不尽なことばかりで、
40km制限の道路を
40km以下で通行している車は一台もない。
スピード違反の車にぶつけられたら、
確かに悪いのは車の方だが
痛い目をみるのは間違いなく自分だ。

子供にとって、
すでに子供時代を通り越して、
その先を知る親の理論は
スピード違反の車に近い感覚なのかもしれない。

…が、そういう暴走車も走っているのが世の中で、
そことをいかに
安全に通行するかというノウハウがなければ、
自分の行きたい場所へはたどりつけないだろう。

最もこれは父親の理論で、
母親はというと、
家庭を世界中で最も安心できる場所にするのが
親の使命と感じているに違いない。

だから、子供が行きたい場所には、
むしろ付き添って行ってやろうとするのが
基本的な母性のようにも思う。

それはおそらく、どちらも正解。

ここで忘れてはならないのは、
どちらの意見に従うか、ではなく
子供はどう考えるか…
そうした状況の中で、
子供自身が考えなければならない。

子供は親の持ち物でもなければペットでもない。
だから、どっちに従うのか
…なとどは決して言ってはいけない。

自分で考える力をつけることこそが
…教育の基礎。

時には
自分に都合のいい方向を選ぶこともあるだろう。
そして、結果、痛い目もみる。

失敗は「してもいい」…のではなく、
すればやっぱり痛い目をみる。
どれくらい痛いのか身をもって知るんだ。

若者の特権は失敗が許されることではなく、
失敗を経験しても、
いくらでも取り返しがつくことだ。
…つまりは、かすり傷だな。

痛い目をみて、自分の考えの甘さを知って、
少しは親の言うことも参考にする。
自分を振り返ってみてもその繰り返しだろうな…。

今年最後の教育論は、
少しは教育論的な話にはなったかな。

2009年…

初めての受験を経験して
高校生になった長男は、私の背丈を越えた。

中学生になった長女は
部活のバトミントンとお菓子作りに熱中している。

読書好きの小4の次男は、
ことある事に本から得たウンチク話を口にするが
…サンタクロースの存在を疑ってはいない。


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