20091108
でじたけ流 教育論

第484回

自分で掘れ-digitake.com


知人の誘いで「芋掘り」に行く。
芋は知人が栽培したものだ。

家族そろって出かけるのも久しぶりのこと。
誰かが部活だ、仕事だ…と、
5人でそろって出かけることも難しくなってきた。

三人兄弟がそろえば必ずケンカになるが、
そろわなければ気になって仕方がない。

さて、芋畑は我が家の貸切状態だったので、
幸い肩をぶつけ合ってケンカになることもなかった。

思えば芋掘りなど、私は幼稚園以来。
40年以上ぶりだな。

母親が無くさないようにと
手袋を紐でつないでおいてくれたのだが、
その紐を肩にまわせばよかったものを
地面に垂れ下がったままにしておいたために、
半分、土に埋まった紐を思い切り引き抜いたら、
飛び散った土が目に入って
痛かったことをよく覚えている。

そういう痛みは忘れないのに…
二日酔いの苦しさはついぞ忘れてしまうのは
…何故だろう?

しかし、知人の育てた芋はデカかった。
芋のカタチをしたカボチャといってもいいくらい。

夕暮れまで芋を掘って、あとは焼き芋パーティー。

採れたての薩摩芋は、もちろん旨かったが、
一緒に掘った里芋が、また格別に旨い。

一度収穫を終えた種芋を
とりあえず埋めてほったらかしにしていたと言うが、
里芋の生命力は強く、またたくさんの芋をつけた。

里芋と言えば、普通は「煮る」感覚が強いが、
アルミホイルにくるんで「焼く」と
実にクリーミーな味わいになる。
皮もつるんとすぐにむけるので、
腹を空かした子供たちの人気は薩摩芋より高いくらいだ。

何かを自分で採って食べる、という
基本中の基本を都会の子供たちは知らない。

そういう基本的な苦しみや喜びを
知らないでも生きていけるということは、
決して幸せなことではないだろう。

何より…自分で採ったものが一番旨いに決まってる。

昔、ある友人から
田舎出身の奴は強い」という話を聞いたことがある。

都会の連中は
「食えなくなったらどうしよう」と
不安ばかり抱えてビクビクしながら生きているが、
本当に田舎から出てきたようや奴は、
「食えなくなったら田舎に帰って、
 魚を捕って食う」と
平然と言い放ったというのだ。

確かに…
食い物がなくなったら生きてはいけないけれど、
金がなくなっても生きて行く道はあるよな。
…贅沢はできなくなるかもしれないけど、ね。


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