20080803
でじたけ流 教育論

第418回

エッシャーに学べ


先日・・・
あまりの暑さに仕事をサボって
美術館に避難した時、
ミュージアムショップに、
ちょっと面白いものが売っていた。

世界の名画の絵葉書なんだけど・・・
組み立てるとステレオ・ビュアー
・・・つまり立体映像で見える、というもの。

これは子供たちにも、ぜひ見せたい
・・・と思い、500円で買ってきた。

ダ・ヴィンチとか、北斎とか、
いろんな絵があったけど・・・
せっかくの立体映像だから、
より奥行きが感じられるものの方が
不思議さが増すと思い
・・・選んだのは
だまし絵の巨匠、エッシャーの1枚。

うちに帰って、早速、子供たちに見せてやると
・・・なかなかウケた。

ところが・・・
このだまし絵についての見解が、
子供と大人でハッキリと分かれた。

私には、テーブルの上に
ミニチュアの町の模型が
乗っているように見えたんだけど・・・。
中3、小6、小3の子供たちは、
口をそろえて「大きな本がある」と言う。
私の見方とは逆に、
町は等身大で、手前の本やトランプが、
巨大なんだと主張する。

もともと、だまし絵なんだから、
どちらが正しいということはないんだけれど、
どこを中心に見ているのか
・・・という、その違いは明らかだ。

つまり、この絵は・・・
手前の近くにあるものから見れば、
町がミニチュアに思えてくるし・・・
遠くの町から見れば、
手前の物は異様に大きく見えてくる。

同じものを見ても・・・
どこを中心に見ているかによって、
見えているものの大きさや
意味合いは異なってくる。

こうしたことは、絵画だけでなく、
音楽にも、言葉にも・・・あること。

音楽なら・・・
歌詞をどう思うのか、
それともリズムだけで感じるのか。

言葉でも・・・
想像のつかないことは、
いくら聞いてもピンと来ないし、
同じような経験があれば
1を聞いて10を知ることも容易にできる。

老若男女を問わず、
できるだけ多くの人に伝えるための
テクニックというものはあるだろうけど・・・
最終的には、受け手の問題だな。

極端な話・・・
言葉のボキャブラリーな少なかったり、
ルールがわからなければ、
意味を理解できるはずもないし、ね。

そこで教育とは・・・
まず「自分がわかってない」ということを
自覚させることが
・・・最も重要なことなのかもしれない。



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