20080330
でじたけ流 教育論

第400回

400回


今回で「教育論」もちょうど400回目となった。
名ばかりの「教育論」だけど、ね。
何だかんだと、8年書き続けてきてる。

少なくとも・・・
子供たちについて論じるためには、
まず子供たちを見なければならない。

時々書いている「鉄馬小屋通信」では、
バイクのエンジンを時々はかけて・・・
バッテリーが上がらないようにするために
毎週書こうと思ってはじめたけど
・・・実際は続いてない。

バイクはこっちがいじらない限り、
ただ錆びていくだけで何も変わらないけど、
子供たちは、どんどん変わっていく。

「教育論」をスタートした時に・・・

小学校に入学したばかりだった長男は
・・・4月から中学3年生。

幼稚園に入園したばかりだった長女は
・・・4月から小学6年生。

生まれたてだった次男は
・・・4月から小学3年生になる。

・・・過ぎてみれは早いな、まったく。

このところ・・・
次男がよく、おどけて見せる。

末っ子としては、
あいかわらずの態度ではあるんだけど
・・・いつもより増して。

親から見ていても思うけど・・・
このところ長男と長女が
急に大きくなったように思う。
背丈もそうだけど、態度も、ね。
何かグッと大人っぽくなってきたというか。

対して低学年の次男は、
当たり前の話だが、まだまだ子供っぽい。

加えて、長男と長女は、
勉強が大変になってきたと見えて、
さすがに少しは勉強をしているようだ。

ようするに・・・次男としては、
これまでと家の様子が変わってきて
・・・ちょっと淋しい感じなのかな。

だから、
相手にしてくれそうな人を見つけると、
さかんにおどけて見せてくる。

誰も相手にしてくれない時は・・・
一人で黙々と本を読んでいる。

それも漫画ではなく、字の多い本を。

おそらく次男は
うち中で一番の読書家だ。

大人になると・・・
環境は自分で作るものになってくるが、
子供の時分には
与えられた環境の中で
楽しみを見つけなければならない。

大人になっても、
与えられた仕事の中で
楽しみを見つけていかないと、
酒ばかり呑んでいることになってしまうけど、ね。

時間の使い方を覚えるということは、
ようするに・・・
自分をコントロールすることを覚えることだ。

そこから逃げ出してしまっては、
自分なりの豊かな人生などあり得ない。

おかげで次男の知識は
年のわりに豊富ではある。

その知識を確かめに
一人で歩き回るようになるのも
・・・時間の問題だろう。

そして気がついたら・・・
おどけ顔を見せていた頃が
・・・懐かしく思えてしまうんだろう。

父親になって約15年。
子供たちについて書き始め8年足らずで
・・・すでに郷愁を帯びてきた感もある。

日々メシの支度に追われている母親と違って、
こういう想像力は父親ならではなのかもしれない。

バーチャルにしてリアルな生活を楽しむ
「ままごと遊び」をする女の子を脇目に、
想像力だけで戦う「怪獣ごっこ」をするのが男の子。

もともと見ている場所が違う。
違うから補い合える関係で・・・
もし同じ感覚でそれぞれ子供に接していたら
・・・子供たちは逃げ場がないだろう。

父親に叱られたら母親の元へゆき、
母親に叱られたら父親も元へ行って
・・・少し冷静になって反省する。

遊び友達が見つけらなければ静かに本を読み、
大勢で遊ぶ時には大声を上げて発散する。

すべてはバランス・・・だ、ね。

何かにつけて、
そのバランス感覚を教え込むことが
・・・教育なのかもしれない。



でじたけ流 教育論