20070916
でじたけ流 教育論

第372回

使命と資格


例えば、子供ができたら・・・
その子を育てることは「使命」である。

しかし、
子供ができたということが
イコール親になる「資格」を
与えられたということではない。

会社に入ったということは、
確かにその会社に入る
「資格」を与えられたことにはなるが、
社員としての「使命」を果たさなければ
社員としての「資格」は存続できない。

「資格」は「使命」を果たせる者だけに
・・・与えられるものだ。

ところが時折・・・
「使命」を与えられたことで
「資格」を得たように錯覚する者がいる。

あたかも何かに合格したように・・・。

こういう輩が少なくないのは、
日本の教育制度の悪い側面だろう。

つまり・・・
大学に合格したから大学生になれた
・・・と安心してしまうような。

大学で勉強したから大学生になれるのに、ね。

「子育ては、親育て」・・・というのは、
かつて発刊した「教育論」のキャッチコピー。

これは我ながらよくできたコピーだと思ってる。

プロの世界は、どこも厳しい。

野球選手もサッカー選手も
期待された成績が上がられなければ
お払い箱だ。

一般的なサラリーマン社会も
本来はそうあるべきで・・・
そうでなければ会社全体は決してよくならない。

・・・が、実態がそうでないのには
理由というか、大義名分がある。

企業は、その社会的な使命として
社員を雇用し、
社員とその家族を養っている
・・・というのがそれだ。

会社を伸ばすことより
一人でも多くの人を食わせる、
そのことの方がより重要
・・・だというわけだ。

そのあたりが日本の
まるで共産主義のような
特殊な資本主義の実態ともいえる。

或る外国人の税務担当者が
日本の税務制度を見て
「まるで会社が国の代わりをしてる。
 国は会社に徴収代行の
 手数料を支払うべきだ」
・・・と怒っていたという話を思い出す。

話は次第にそれてしまうけど・・・
そもそも日本とアメリカのような国では
税金に対する考え方がまるで違う。

世界中から集まった開拓民が
お金を出し合ってみんなが使う橋を造ろう
・・・というのがアメリカの考え方。

対して日本は・・・年貢だ。
城主様に年貢を納めることで
自分たちの暮らしを守ってもらおうという発想。

だから、日本の役人はいまだに、
しかも不必要に威張ってる。

威張っていいのは
使命を果たしている人だけで、
威張れる資格など・・・ない。

最も何をするにせよ、
使命を果たすためには
自分だけでなく、多くの協力者が必要で、
真剣に使命を果たそうとすればするほど、
とても威張る気持ちなど
・・・なくなるはずだけど、ね。

教育が作り出す「勘違い」ほど
・・・恐ろしいものはない。



でじたけ流 教育論