20070826
でじたけ流 教育論

第369回

子供の嘘


親が子供を、
上司が部下を
信じる気持ちは美しいが・・・
同時に
疑う気持ちも持っていないと
子供や部下は伸びないと思うな。

未熟な者は、その未熟さうえに
・・・防衛本能的な嘘をつく。

未熟さうえの嘘は、
嘘の中でもまだ素直な嘘で
比較的罪のない嘘だろう。

それでも、嘘である以上、
誰かが見破ってやらないと、
嘘をつけば何とかなる・・・なんて、
世の中を甘く見ることになり、
身内の中でのことなら、まだいいが、
そのうち大きな嘘をつくようになってしまい
・・・痛いシッペ返しをくらうことになる。

だから・・・
まず、小さな嘘を見破ってやるのは
一番身近な人生の先輩である
親や上司の仕事なんだ。

そういうことを繰り返して、
嘘をつかない習慣ができてからでないと、
いざという時、
本気で子供や部下をかばうこともできない。

そうした、いわば訓練を
何もしてきていないのに、
最初から子供や部下を信じると言い切るのは、
本当は信じているんじゃなくて、
ただ盲目的に許しているだけ。
つまり・・・甘やかしていることだと思う。

昔に比べて
子供の数が少なくなったせいか・・・
子供をまるでペットのように可愛がる親が、
すごく増えてしまっているように思う。

ペットだって訓練しなければ、
そこら中にクソを垂らすというのに、ね。

何かをしてあげることが教育じゃないない。
何かをできるようにすることが教育だろう。

親がクソを拾い集めていたのでは、
子供はいつまでたっても、
まともにトイレの使い方を覚えない。

うまく失敗させることが必要なんだと思う。
大きなケガにつながらない程度の失敗を、ね。

そして・・・
クソは自分で拾わせるんだ。

たとえ「自分のクソじゃない」と言い張っても
本当に他人のクソであっても
積極的に拾うことができるような人間に
・・・育ってほしいと思わないか?

時には嘘をつかせてみるのもいい。
嘘には、ついた人に責任が生じるから。
責任を負わせるという意味でね。

しかし・・・
責任は親まかせになってしまうようではダメだ。
責任をまっとうするために工夫をしたり、
結局、責任を負えなかったことによって、
嘘をつたことが後悔になるようでなければ
・・・成長の糧にはならない。

子供にせよ、部下にせよ、
立場上弱いものは、咄嗟に嘘もつく。
・・・ということを覚えておいた方がいい。

それは、いい・悪いではなく
・・・防衛本能とは、そういうものなんだ。

問題は・・・その時、どうするか、だね。

闇雲に信じるのは簡単だけど
嘘をつけば何とかなるということを
インプットしてしまうようでは、
どう考えても本人のためにならないでしょ。

最も私が
子供の嘘を見破れるとすれば・・・
それは、
自分もたくさん嘘をついたから。

福沢諭吉の言葉に
「金庫番は泥棒に頼め」
・・・というのがあるけれど、
泥棒できるくらいでないと、
泥棒の手口は見抜けない。

私が嘘を見破れるのも
・・・嘘つきの証拠、か。

さぁ、みんな・・・
夏休みの宿題は終わったかい?



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