20070722
でじたけ流 教育論

第364回

立場教育


最近、中2の長男が
まるで「父親のように」
妹と弟に対して叱ったりしている
・・・という。

門前の小僧のように
身近にいる大人=見本に似るのは、
ある意味いたしかたないことだろう。
もちろんDNA的にも、ね。

ただ、カミさんに言わせると、
その叱り方が少々度を超えているらしい。

そこで・・・
見本となる私にも自粛してほしい、と。

私の答えは・・・NOだ。

むろん私のやり方が
100%正しいとは言わないが・・・
私が「はい、そうですか」と変わったところで
一時は長男も変わるかもしれないが、
それでは
大切なことが教えられなくなってしまう。

その大切なこととは・・・「立場」だ。

親と子供とでは立場が違う。
だから、親がやっているからといって
子供がやっていいことにはならない。

これは家庭だけでなく、
学校でも会社でも同じこと。

先輩、後輩。上司と部下。
立場が違えば、できることが違うのだ。

同じ人間同士・・・とか、
みんな平等・・・なんてのは、
極端に言えば、
人生を甘く見た迷信だと思う。

世間に出れば、
いかに不条理と思われることでも、
やらざるを得ない場面が実に多い。
理想を掲げるだけで、その通りになっているのなら
悩む人間など、一人もいないだろう。

概して学校で教えることには「建前」が多い。
しかし、現実はそうではない。
その現実を誰が教えるのか
・・・親しかいないだろう。

「立場」をわきまえない者は「身の程知らず」である。

身の程知らずでも何とかなるのが、
今の平和な世の中なんだけど・・・
そういう意味での抵抗力がないと、
いざ何かあった時には非常にもろい。

教育とは生きる力を与えるものでなければならない。
記憶力を競うものではないし、
得点争いに終始しているのなら、ただのゲーム。

正しいだけじゃ勝てないのが・・・人生。

弱い立場には、弱い立場なりの
・・・強さがある。

自分の立場をわきまえつつ、
次の立場をつかもうとするから
・・・そこに努力がある。

最初からみんな一緒・・・なんて言ってたら、
誰も努力しなくなっちゃうじゃないか。


でじたけ流 教育論