第343回 |
中1の長男が、
学校の「技術・家庭」の時間に作ったという 本立てをくれた。 早速、枕元の「こち亀」専用本立てとして利用している。 我々が中学の頃は・・・ 「技術・家庭」の時間には 男子が「技術」、女子は「家庭」という風に 男女わかれて授業を受けたものだが、 今は、男子も女子も「技術」も「家庭」も 一緒に勉強するらしい。 したがって・・・ この本立ては女子も作っているし、 男子もサンドイッチを作ったりしている。 男女平等という観点では、 この方が確かに平等だし・・・ 男子の中に料理が好きな者もいれば、 女子の中に大工仕事が得意な者もいるだろう。 だけど・・・ 何が違う気がするんだよなぁ・・・。 女子が「家庭」の時間に作ったサンドイッチを 誰がもらえるか、なんて ワクワク、ドキドキする気持ちは 今の子たちにはないだろう。 みんな同じことができてしまうと、 誰かのために何かをするという喜びを知る機会が 減ってしまうような感じがしなくもない。 最も・・・ 男子が「技術」でブリキを切って箱に仕立てた ハンダごての台なんかもらっても 喜ぶ女子はいなかっただろうけど、ね。 この間、NHKの「視点・論点」に 西洋人の大学教授か何かが出ていて、 日本の英語教育について語っていた。 いわく・・・ 日本の英語教育について、 もっと低年齢から英語教育をすべきという意見があるが、 決してそういうことではないと思う。 欧米では、逆にもっと高年齢になってから 母国語以外の言語について勉強するケースも少なくない。 例えば、物理をもっと勉強したいと思ったら、 その必要性から物理先進国へ行くために英語が必要となるので、 それから3〜4年かけて英語を勉強する。 つまり・・・ まず目的を決めてから、 その目的に即した言葉という道具の使い方を覚えるべき ・・・だというのだ。 確かに・・・ 物理や化学、歴史といった「過去の基礎知識」を学ぶのと、 今道具として使われている「語学」を学ぶのとでは、 ちょっと土俵が違う感じがする。 目的もなしに、ただ闇雲に覚えようとしたことなど、 何年かけようと何も覚えていないのが関の山だ。 力のいる大工仕事と、 繊細さが要求される料理・・・ やっぱり男と女の間に 区別はあってもいいんじゃないかなぁ。 差別ではなく、特性による区別。 DNAが持つ特性を活かした作業の結果、 自分が得意になれて、誰かを喜ばすことができる。 そのことをまず知るべきだという感じがする。 学校で「家庭」の授業を受けなくたって 料理人になる男はたくさんいるわけだし・・・。 自分で大工仕事ができるから 男の力を仮寝必要はないなんて女子が増えたら、 それこそ少子化問題が悪化してしまうんじゃないか?! そりゃあ、男も女も区別なく、 いっぺんにやってしまう方が 授業をする側としてら楽かもしれないけど、ね。 |