20060122
でじたけ流 教育論第287回

思い出は共同作業


金魚の水槽を
えらく久しぶりに掃除した。

一昨年(2004年)の夏に
子供たちが縁日で釣ってきた金魚で、
大きさはその頃に比べると
4倍くらいにはなったと思う。

体が大きくなった分、
フンも大きくなって、
おまけにポンプもまともには
動いていなかったので、
水槽はひどい汚れ方をしたいた。

ウォルト・ディズニーが
子供たちに付き合って遊園地に行った時、
あまりに遊園地が汚かったので、
きれいな遊園地を作りたいと考え・・・
少しでも汚れている場所があれば
すぐに掃除する専門の清掃員を
ディズニーランドには設置した。

きれいな場所は汚しにくいが、
ひと度汚れていると、
どんどん汚れていってしまう
・・・という考え方だ。

そんなわけで我が家の水槽も
どんどん汚れていってしまったわけだが、
私が手を下さない限り
水槽を掃除する者は我が家にはいないので、
意を決してとりかかった。

手伝いをしてくれるのは小3の長女だ。

長女は動物の世話をするのが好きで
将来は動物パークの係員になりたいと言っている。

メダカや金魚のエサやりは
長男、長女、次男が曜日を決めてやっているが、
水槽の掃除となると手伝いに手を挙げるのは
・・・長女だけ。

兄弟それぞれに興味がある分野があるから、
みんなと等しく付き合うためには
親はより幅広い趣味を持つことにもなる。

スポーツで子供と接する親も多いよね。

そういうことがないと・・・
結局、食べることくらいしか
一緒にできることがなくなってしまうよな。

食べるとか、寝るとかという
本能的なこと以外に
プラスアルファの何かを持たないと
思い出として刻み込まれにくいだろう。

食べたり、寝たりなんてことは
生きていけば、この先数え切れないほどやるわけで、
よほどのインパクトがない限り
すぐに風化していってしまう。

何より、食うという行為は
個々が口を動かしているだけで
共同作業とは言い難い。

どんな話をしたのか・・・って
なかなか覚えていないものだけど、
何をしたのかは、わりと覚えているものだ。

何をしたのかを思い出すと
どんな話をしたのかも蘇ってくる。

やっぱり体を使わないと・・・
脳だけじゃ頼りにならない。


でじたけ流 教育論