20050619
でじたけ流 教育論第256回

256 父親参観


父の日は次男の父親参観日だ。

運動会なんかもそうだけど・・・
土日だからと言って
休みとは限らない両親も多いだろうし、
離婚も珍しくないご時世になると
参観日も昔とは
ちょっと雰囲気が違って見える。

確かに自分の子供が
幼稚園や学校という「社会」の中で
どう過ごしているのかを見るのは
興味深いことではあるんだけれど・・・

どうせなら・・・
子供に親が端らしいている姿を
見せる日があってもいいし、
むしろその方が意味があるのではないかと
昔から思っていた。

標準的な日本人が
サラリーマンではなく農民だった頃は
嫌でも親が働くところを目の当たりに出来た。

そのことが子供にとっても
また親にとっても
いい意味での緊張感になっていたように思う。

標準的な日本人が
サラリーマンになって・・・
しかも、月給は銀行振込になると
子供が見る親の姿は
疲れて果てて
休みの日に転がっているところばかりになってしまう。

親子に限らず
一緒に暮らす家族というのは
嘘のつけない相手・・・である。

一方で説明のいらない
説明しない相手でもあるので・・・
時には自宅以外の姿も
見てもらう必要があるんじゃないかな?

それが見せられないというのは・・・
嘘をついている証拠で、
嘘のつけない相手に
嘘をついているということは・・・
家族がいい関係ではない
・・・ということになりはしないか?

子供のために・・・と
自分のために・・・は
同じでしょ?


でじたけ流 教育論

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