20050508
でじたけ流 教育論第250回

250 経験という引き出し


幼稚園年長組の次男が
足の裏が痛いと顔をしかめた。

見てみるとタコみたいなものができていた。

「これはタコかもしれない」
・・・と言うと
「タコに刺されたの?」
・・・だって。

ついこの間、山で虫に刺されて
顔中、ボクサーのように
腫れ上がった次男にしてみれば
・・・そういう発想になる、かな。

人がものを考える時には・・・
これまで自分が経験してきたことの
引き出しの中から
似たような事例を引っ張り出してきて
新しいものに対しても
何とか理解し、対策を練ろうとする。

例えば虫に刺された時、
どうやって治したのか・・・とかね。

放っておいて治ったものについては
何の考えもいらないが、
虫さされやケガ、病気にだけでなく、
たいていの問題は
放っておいただけでは悪化してしまう。

日常の細かい問題の中で
それを解決する方法を示し、
解決に至るプロセスを
経験させてやるのが親の役目。

大切なのは・・・
一方的に解決だけしてやるのではなく、
経験をさせてやること。

じゃないと・・・
何でもかんでも
誰かにやってもらわないと
できなくなってしまうから、ね。

楽あれば苦あり・・・とは
このことだね。

子供に苦労はかけたくないけど、
楽ばかりさせては強くはならない。

経験という引き出しは・・・
大人になってから
いきなり埋めようと思っても
簡単には埋められない。


でじたけ流 教育論

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