20050501
でじたけ流 教育論第249回

249 実感する生活


最近・・・
着替えをしていると
何だかランニングがきつかったり、
靴下がきつかったりすることがある。

太りすぎた・・・のではなく、
間違って
小5の長男の洗濯物が
私の洗濯物に混ざっているのだ。

こっちも
着るまで気が付かないんだから
たたんでいるカミさんも気づかない。

長男の靴のサイズは
すでにカミさんと同じらしい。

子供が大きくなったという実感は
暮らしの中の
こういう場面で実感するものだ。

うちの子供は3人で全部で5人家族。

玄関にたくさんの靴が
脱ぎ捨てられているのを見たり・・・
まるでトイレに入る度に
トイレットペーパーを
交換しているような感じがした時、
家族が増えた・・・と実感した。

実感・・・というのは
こうした日常生活の些細な面が
今までと少し違うと
感じることではないかと思う。

新しい習慣を感じとった時、
あるには・・・
新しい生活を知った時こそが
実感した時だ。

滅多にないようなことで
普段と違うことを感じても
実感というには、ほど遠いだろうし、
繰り返し感じるものが
実感なんだろう、ね。

ついつい何でもかんでも
実感した・・・と言ってしまうのは
ボキャブラリーが貧困すぎないか?

ズボンのウエストが
また、きつくなってきた。

これは間違いなく自分のスボン。

さて・・・
この実感を機に
次に何をなすべきか・・・。


でじたけ流 教育論

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