20050227
でじたけ流 教育論第240回

240 自分で生きるということ


器用だが不真面目な父親と
真面目だが不器用な母親の間に産まれた
うちの3人の子供たちは・・・

父親と母親を
足して2で割ったようになってくれれば
よかったと思うが・・・
今のところ、やはり
器用だが不真面目か、
真面目だが不器用かの
どちらかに分類されるようだ。

絵を描かせてみると
わりとよくわかるんだけど・・・

器用な人は描くのが早い。
思い切った線を描くが
カタチがわりと整っている。

不器用な人は、まず描くのが遅い。
思い切って描く自信もないんだろうけど
細かいところにとらわれ過ぎて
結局は全体のバランスがおかしくなっちゃう。

器用というのは
わりと先天的なものであって
真面目というのは
後天的な努力の賜という感じがする。

なまじ器用だと
努力を怠るので、傍目には不真面目だ。
自分が不器用でいることを知っている方が
コツコツ努力するので真面目に見える。

若い時には誰でも
自分は天才じゃないかと勘違いする。

試合に出たこともないのに
負けたことがないという理由から
チャンピオンになったつもりでいる。

その勘違いが原動力になって
ある方向に進んでいくことによって、
やがては世の中が広いことを思い知る。

思い知ることこそが、成長のきっかけだ。

自分が何でもできると思っているうちは、
まだ何も知らないんだよ、ね。

自分に賭けているものを知り、
それを補う手段や
補ってくれる人と巡り逢えて
はじめて自分の人生がはじまる。

何も知らないで生きていられるのは
親やほかの誰かが
生かしてくれているだけで
自分で生きているのとは違う。

さて、うちの子供たちも・・・
やがては、いろんなことを思い知り、
挙げ句に自分とは正反対の性格を持つ誰かと
結婚するようになるの・・・かな。


でじたけ流 教育論

[ BacknumberBBS 御意見番 ]