20030511
でじたけ流 教育論

第147回
る立場、られる立場


年齢41歳。結婚12年。子供3人。
一応、株式会社の代表取締役。
・・・ともなると、
そうそう誰かに叱られることもなくなってきた。

むろん、怖いクライアント様はいらっしゃるが、
いちいち怒られて仕事をしているようでは
バイトと同じで・・・
とても自分で商売などできない。

叱るのと叱られるのとでは
断然、叱る方がいいに決まっている。
・・・と、子供の頃は思ってた。

だけど・・・
実際、自分が叱る側の立場になってみると
真剣に叱ろうとすればするほど・・・つらい。

つまり・・・
叱った内容と同じことは
自分では絶対にできないからだ。

叱られる方はできなくて叱られるのだから
叱られること自体には何の努力もいらない。
努力は今後の課題。

でも、叱る方は・・・
叱る時点で、それができていなければならないのだ。

『教育論』の本の帯にも書いた
「子育ては、親育て」とは、こういうことだ。

実際・・・
私は子供が生まれてから
ちゃんと信号は青で渡るようになったし、
家に戻ったら、
まず手洗いとうがいをするようになった。

ちなみに、自慢じゃないが
トイレから出るときに手を洗うようになったのは
今のカミさんと付き合いはじめてからのことだ。

仕事先でも、遊びの仲間と集まった時でも
話を聞くより、話をする方が多くなってきた。
これは・・・
元来、私が話好きなせいもあるんだけれど。

子供と話す時も
若い人たちと話す時にも
実際は、とくとくと話しながら
自分にそう言い聞かせている部分や
漠然とした認識を整理していることはよくある。

まるで・・・
自分で自分を叱るように。

子供時代や若い頃は、叱られて当然。
でも、いい年になったら、もう
・・・他人に叱られてからじゃ遅いんだ。

今は日本が平和なおかげで
なかなか大人にならなくても
とりあえず生きてはいけるけとれど・・・

せいぜい20代くらいまでは
さんざん叱られても
「わからないヤツだなぁ」で済むが、
これが30代を過ぎると・・・
「できない人」の烙印を押されてしまう。

自分はいつまでも子供のつもりでいても
・・・それは通らないのが世の中の現実。

叱られなくなったから“大人”じゃないんだ。

それは、自分が単に年をとって
自分を叱ってくれるほどの大人が
周囲にいなくなってきただけの話で・・・
自分がきっちり叱る側にまわれていないとしたら、
自分としては不本意な烙印を
周囲に押されているのかもしれない。


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