でじたけ流 教育論-格差
 

でじたけ流“教育論”第1261回
格差


自分が生まれた
1960年代初頭といえば…
戦後は終わった
…といわれた頃で
高度成長期の真っ只中

自宅は二軒長屋の都営住宅で
かつては共同水道だったらしいが
自分の記憶には
個別の水道が
敷かれている様子しか残っていない

現在は個人情報保護法のおかげで
学校の連絡網なんてものは
なくなってしまっているが…
昔はクラス替えの度に配布されていて
中には
まだ「呼び出し」という家が数件あった

家に電話がなくて
近所の家の電話を借りていたのだ

連絡網がなくなったのは
個人情報保護法のため…と書いたが
法律のためというより
SNSが発達したからいらなくなった
…という方が大きいかもしれない

そして今も
固定電話を持たない家は増えた
携帯があるから
インターネットはつないでも
固定電話を置く必要性がない

独り暮らしをしていた学生時代にも
アパートにテレビはもちろん
エアコンもあって…
車を持っている友人も多かった

戦前までは
車を所有しているなんてのは
エリートに限られていたらしいけど
10代、20代の若者が
自分の車を持つのも今や当たり前

小学校では
1人1台…iPadが配布され
ノートはノートPCとなり

かつて花形だって
新聞は出版業界は斜陽産業
テレビはYoTubeなどの
オンデマンドビデオを
観るための道具に様変わりした

確かに
変化のスピードは加速している

しかし
新幹線や飛行機も…
眺めていれば速く見えるが
その中に
乗っている人にとっては
いちいちスピードを
感じることはない

そしてAIだ

技術を持たない人間が
技術を持った専門家に
仕事を依頼して…
カタチにしてもらう
…ということを
コンピュータ相手に
できるようになってきた
…しかも安価に

もうすでに
これからの世代の連中は
そうした道具が
あることを前提に
これからの時代を
生きていくことだろう

戦前生まれの人たちが…
今の若者は
恵まれ過ぎていて苦労を知らない
…と嘆いたところで
自分もまた
エアコンの中で過ごすことになる

ただし
エアコンのスイッチを
入れるべきがどうかは
その場にいる人間が
肌で判断しなければならない

AI相手も同じことで
AIが出してきた案のうち
どれが適格なのかは
人間が判断することになる

自分で判断することから逃げて
他人任せにしている人は
結局…
人に使われるしかなくなるが
AIを使う側にもまわれなくなる

自分の判断を
自分を楽にするためのもの
…だと考えていると
自分の夢を
叶えられる人にはなれない

AIで何でもできるようになる
…ということは
相当なレベルまで
自分1人で出来てしまうということで
…できない言い訳がなくなる

仕事でも遊びでも…
AIのある暮らしが日常になると
できる人とできない人の格差は
世代の格差だけでなく
もっともっと広がってしまうだろう

便利な社会は…誤魔化しのきかない社会
猫すら…何も誤魔化してはいない

やっぱり…人生、日々更新

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