でじたけ流 教育論-違認
 

でじたけ流“教育論”第1251回
違認


違いを認めると書いて
…違認

最近ここのタイトルを考える時
意味合いを表す漢字を
適当に並べて
勝手に熟語みたいにしてる

普段使ってる熟語も
当然あるが
中には…
そんな熟語あるのか?
…というものもある

違認…を思いついて
ネットを叩いてみたが
見当たらなかった

それでも
漢字というものは
おもしろいもので…
それぞれの漢字に
もともとの意味があるから
何となくでも
言いたいことが
伝わるのではないだろうか

これは
アルファベットでは
絶対にあり得ないことだね

明治に入って
西洋の新しい概念を
何とか漢字に置き換えたのと
同じような…と言っては
維新の賢人たちに申し訳ないが
それに似た言葉遊びである

さて…違認

違う
…と唱えることは
認めない
…と言ってるのと同じ

違うことを認める
…という
違認という言葉は
意味合いが矛盾している

ところが…
社会生活では
しばしば違認しないことには
スムーズにいかなくなる

自分と同じ考えでなければ
おかしい…という考えが
そもそもおかしいと思うんだけど

自分と違うものを
やっつけることで
自分の居場所を
得ようとしてしまう

社会機構には
ルールや役割があって
例えば大統領なら
1人しかなれないから
ライバルを攻撃しなければ
その座は獲得できないだろう

しかし
たいていの人たちは
それぞれの居場所で
自分でなければできない
役割を担っているわけで…

それを犯されない限り
他人を攻撃しても
何の得もないはずだ

つまり気分の問題で
自分が優位にいないと
落ち着かなかったり…
安心できない…といった
実は自分の中だけの
偏向したルールに縛られている

差別はいけないが区別は必要

性別や年代
立場や思想
その違いをまず認められないと
その先は
対話ではなく罵倒になりかねない

罵倒するエネルギーも
かつてと比べて衰えてきた一方
時間もなくなってきた昨今

誰かに何かを頼むくらいなら
自分でやった方が気が楽
…というのが本音

そうして淡々と
何かをやり続けていると
不思議とまた
新しい仲間が集まってくる

気づかない人は
いくら言ったって気づかないし
気づく人は
何を主張しなくたって
気づいてくれる

子供たちにはせいぜい
今の自分の姿を見せておいて
自分が親の年齢に近づいた時
思い出してくれれば
…それで良し
今気づけと言ったって無理だろ

痛い思いをしないと
気づけないこともある

伝えなければならないのは
失敗しない方法…ではなく
失敗してからの頑張り方

やっぱり…人生、日々更新

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